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平成最後の夏、君は渋谷で何してる?

今年は平成最後の夏らしい。私の周りでは主にtwitterのTL上で盛り上がっている。

昭和生まれの職場の上司が「いやぁ〜平成最後の夏だねぇ」と言う事もなければ、平成のうちに慌ただしく扶養家族を増やした旦那が「平成最後の夏!遊ぶぞ!」と躍起になっていることもない。2歳の子供達は元号など知る由もない。私の生活圏内では、ただ静かに平成最後の夏が過ぎ去ろうとしている。

と言うのも本来この手の事に敏感であるはずのミーハーな私が、8月に入った瞬間に体調を崩した。
医師からは絶対安静を命じられており、現在は自宅のベッドで日がな一日過ごしている。
会社も長期休暇をもらって、原稿も締切を全て伸ばして貰っている。当然遊びの予定も全てキャンセル。
つまり私の生活圏そのもの自体が、よりにもよってベッドを中心とした数十平米の話に限定されてしまっている。

twitterでしか感じることの出来ない終わりの始まり。
こうも静観してしまうのは別に寝たきりだからでも、仕事が出来ないからでも、遊びに行けないからでもない。もっと別な要因が根底にはある。

本当の理由は、阿部顕嵐に会えないから一択だ。

顕嵐が所属するLove-tuneというジャニーズJr.のグループは、3月以降バック含めてコンサートをしていないし、5月以降少年倶楽部(NHK-BSで放映中のジャニーズ番組、通称少クラ)にも出ていない。つまりは私たちの前に姿を現していない。
一部の雑誌と、メンバーの安井謙太郎のラジオでのみ生存確認をしている状況だ。

夏といったら本来はジャニーズ(特にJr.)ヲタクは忙しい季節。
どこかしらで毎日コンサートやら舞台やらの活動をしている。

阿部顕嵐も昨年まではそうだった。

昨年の夏は主演舞台の「魔女の宅急便」があったし、六本木で開催されていたサマーステーションにも、A.B.C-Zコンサートのバックにも、橋本良亮のソロコンサートのバックにもついていた。

その前の年は舞台「DREAM BOYS」があったし、やっぱりサマステも、A.B.C-Zのバックもついていた。
そのさらに前の年はサマステの前身、ガムシャラもあったし、まだトラジャというグループにも所属していたし…………

もっと前の4年前は「近キョリ恋愛〜Season Zero〜」でドラマ主演を果たした。
その時にサブで出ていた岸優太が今やキンプリ…いや、それはとてもめでたい話なので置いておく。

とまあ阿部顕嵐の現場はこれまで湯水の様に沸いていた。ヲタクとして暇をすることはなかった。
毎年着実に人気も掴んできて、2016年にLove-tuneという現在顕嵐が所属する新しいグループが出来てからは、これから先安泰だなと思う程だった。

余談ではあるが、奇しくもLove-tuneが結成された2016年3月4日は私に子供が生まれた日でもある。
(この時はまだ阿部顕嵐加入前。この2ヶ月後、顕嵐は加入する。)
従ってLove-tuneの現場には最初の1年くらいは行く事が出来なかった。

それでもなんの不安もなかった。今はこれからデビューに向かう道の途中でしかないと思っていたし、いつでもどこでもお金と時間さえ用意すれば会えると思っていたから。

ちょっと過去を振り返ってみる。
私が本格的に阿部顕嵐の沼に突っ込んでいったのは2013年のSexy Zone佐藤勝利主演ドラマ「49」以降だ。
それまでもジャニーズJr.ランドやら少クラやら雑誌やらDVDやらで顕嵐くん可愛いなぁ〜好きだわ〜と思ってはいたけど、何故か49で急に降りた。
その明確な理由は自分でもわからない。はっきりと地上波で顔面を見た時に、「あ、やばいかも。」と思ったのは確かだ。
いつも少クラで見慣れているのに、地上波の破壊力は凄まじい。世間にこの子がバレてしまう…そんなことをふと思った。いつだって始まりは理由なく突然訪れる。

確実に自分が「顕嵐くんが好き」と認識してから初めて顕嵐を生で見たのは2014年Sexy ZoneコンサートSexy second 大阪公演だった。
3月の終わり、もちろん佐藤勝利目当てで遠征をした。大阪公演は全日程入っていた。
この大阪で佐藤勝利の為に双眼鏡を新調し、佐藤勝利だけを追うはずだったが、あまりの佐藤勝利の安定感に後半の日程になってくると少しずつ双眼鏡が浮気を始めたのだ。
そう、阿部顕嵐を捕らえに。
あれは夏ではなく春だったが、あの春、ステージ上で佐藤勝利と同等に阿部顕嵐は輝いていた。

そして東京公演が始まった5月には私は佐藤勝利と阿部顕嵐の団扇を2枚持ちしていたのである。

この時、今だから胸に刺さる出来事があった。
Sexy Zoneコンサートに一緒に入っていた同じく勝利担の友人がいる。
彼女と私は同い年の勝利担といえど、通って来た道がまるで異なる。
彼女は勝利担になる前に一度Jr.担を経験している。

顕嵐に熱を上げる私を横目に彼女は言った。

**「Jr.担は覚悟が必要だよ」 **

この覚悟というのは、金銭的覚悟や、時間的覚悟や、沼的覚悟ではなく、「いついきなり目の前からいなくなるかわからない」という覚悟だ。
彼女が担当していたJr.はひっそりと、どのメディアにも取り上げられることなく退所した。

Jr.の終わりはいつだって儚い。退所しても公式発表がされることはない。(かつて小原裕貴さんだけ退所発表があったが、後にも先にもその一度きりだ)
国民的アイドルSMAPでさえあんな感じで終わりを迎えた事務所だ。Jr.なんてもっと悲惨だ。

だからこそJr.はナマモノだ。露出が増えたと思ったら突然Twitterを始めて、辞めたことを周りが察する。そういう世界だからこそ、必死で応援したくなる。

でも、応援を始めてしまったら、その先は終わりを見据えているのではなく、自担は必ずデビュー出来るはずという強い思いがある。自担だけはそう感じるのだ。
Jr.はナマモノでも、自担は特別なのだ。

自担の夢は叶えたい。そう考えるのがヲタクの本心だ。その夢はジャニーズ事務所にいる限り、デビューして売れる事。ジャニオタやってる限りそこを見据えて応援している。

あの時彼女は「もうあの気持ちは味わいたくないかな。Jr.担はこりごり。」と寂しげな笑顔で私に言っていた。

私は平成最後の夏に、彼女が言うあの気持ちに半分差し掛かってしまっている。

この夏、顕嵐には雑誌を除く仕事が一つだけあった。
長瀬智也主演の「空飛ぶタイヤ」で堂々の銀幕デビューを果たしたのだ。
舞台挨拶等で動く姿は確認できたが、テレビへの番宣出演やバーター出演はない。

映画自体はとても良かった。贔屓目があるかもしれないが、演技力も素晴らしかった。でも、やっぱりスクリーン越しでも顕嵐は顕嵐だった。それはもちろん良い意味で、だ。
顕嵐にちゃんとこの夏会えた。それだけで少し泣いた。
近所のショッピングセンターの映画館で、朝イチビール飲みながら一人泣いていた。

そもそも空席が目立つ時間帯で、周りには顕嵐担らしき年齢層はいなかった。あの空間で私はたった一人で平成最後の夏の顕嵐を噛み締めていた。

この夏の顕嵐との思い出はそれきりだ。

高橋海人が「平成最後の夏!キンプリ最初の夏!」と言っている。
髙橋優斗が「平成最後の夏、一生忘れられない夏にしよう」と言っている。

そのほか東京B少年だって、SixTONESだって、Snow ManだってTravis Japanだって、宇宙sixだって、MADEだって、7MEN侍だって、チビジュだって、それぞれがヲタクと一緒に平成最後の夏の思い出を作っている。

Love-tuneだけがそこに、いない。
なぜか渋谷で毎日のように目撃情報は上がる。

今君は何をしているのだろうか。
君がいないから、私は寝たきりから復活出来ないのかもしれない。
いや、そんなことはこっちの都合だからどうでもいい。
とにかく今は笑顔で団扇を持ってペンライトを振りたい。

それが秋になっても冬になってもいい。

私はまたそんな日常が来る事を信じて待っている。

これからも頑張ります!