感情を思いっきり味わう
今日は朝からあまり喜ばしくないスタートでした。5時半起床。いつも通り、朝食作りと床磨き、仕事へ行く準備をしていました。その合間で子どもたちに声をかけて何度か起こす。でも、起きない。
ここ最近思うのは、我が子には自分の足で立ってもらいたいと強く思っているんです。誰かのせいにして生きて欲しくない。全ては自分の責任で。という事です。娘は小五。息子は小二になりました。もう少しずつそういうことをわかってもらいたい。だから、何かをこちらがやらせるにも、選択肢を与えたり、なるべく自発的に行動できるような声掛けを心がけています。
でも、さすがに仕事に出なくてはいけない時間。でも布団から出てこない。娘、やっとのんびり起きてきて支度を始める。だがしかし、問題は頑固な息子。声をかけても、布団を離さない。ぐずり出す始末。困った…。
去年なら、無理やり布団を剥がして、結構力づくで学校へ送り出していた。帰ってくる頃にはケロっとしてる。それもわかっての力づくだった。でも、さすがに毎年それをやっていくわけにもいかない。こちらの体力と気力がもうしんどい。。で、とりあえず職場には電話。「申し訳ありませんが30分くらい遅れそうです。」と。
で、怒るか迷った。でも、怒りは悲しみの後にある。という、この定義を知った今、怒りよりもやはり悲しみの方が勝っていた。ボーッと待ってみる。早く仕事に行きたい。私は仕事が大好きなのだ。でも、息子の病気もあって、今はセーブしている。だから、せめて行くと決めたシフトの時は行きたいのだ。そう思っていたら、やっとムクリと起きてきた。トイレに行ってから食卓へ座る。私はわざと目の前に座った。朝食を食べる息子を見つめると、「先生みたい」と息子がクスッと笑う。でも、私はもう悲しみに溢れて、息子を見ながら涙が溢れていた。息子はハッとしたような顔をして、その後朝食を食べ終え、学校へいく準備を始めた。何事もなかったかのように。
怒る事はなかったけれど、私は仕事に行きたいという気持ちを伝えて、一緒に玄関を出た。
車に乗った頃は、まだ少しモヤモヤしていたけど、もしあそこで怒っていたら、息子を傷つけていたかもしれない。もしあそこで笑って送り出せていたら、もっと息子は気持ちよく行けたかもしれない。でも、私は息子に仕事へのそれだけの思いがあることをわかって欲しかった。車の中で気持ちを整理した後、仕事をスカッと始められたので、結果、涙を流した事は間違ってなかったんだなと思った。感情を思いっきり味わうと、意外と次に早く切り替えられる。
子どもにとって良い大人とは、感情のコントロールが出来る人だという。喜怒哀楽を上手にコントロールする事で、自分のストレスを発散し、誰も傷つけない社会を築く事が出来るんだなと改めて感じた。
決して怒ってはいけないわけじゃない。泣いたらいけないわけじゃない。笑う、泣く、怒るの感情を、自分なりに上手に見せられる人になりたいなと思った。
それが、自分を生きる。今を生きるということに繋がると。
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