幸せな最期。

昨日、母が空へ旅立ちました。
8/25が母の誕生日。あと数日で74歳でした。

4月に本当にタイミングよく特別養護老人ホームに入所出来て、半年、施設では介護士を気遣ったり、優しい母の姿を皆さんが「本当に穏やかで、可愛らしくて」と言ってくださっていました。

1週間前に、施設から姉に連絡があり、母が帯状疱疹と尿路感染症になったので、入院になります。と言われました。お盆だったので、なんとなく不謹慎にも、そろそろお迎えがくるのかな。そんな事を考えながらも、病院に着くと、母は車椅子に座って、看護師さんに付き添ってもらっていました。

コロナで、施設入所しても面会は出来なかったので、久しぶりに会えた嬉しさもありましたが、相変わらず痩せた身体には、頑張って生きてるなぁと思わされた瞬間でした。姉は、「覚えてる?」と認知症の母に毎度の答え合わせをして、「覚えてるわよ!」とやや怒り口調での返答でしたが、名前はすぐに出てこないのを私は知っていたので、「えみだよ」と名乗りました。母はうんうんとうなづいて、「大丈夫?」と聞くと、「あんまり大丈夫じゃないよ」といつもの口調で。でも、意外と大丈夫そうでした。

それから1週間、いつ個室から大部屋に移してもらえるのかなとか、退院の目処はどうかなとか、病状はどうかな?と姉妹で気にかけて、電話を入れました。看護婦さんは丁寧に説明をしてくれ、快方には向かっているとの事。
ご本人も1人で個室は寂しいとおっしゃってますから、なるべく早く移したいと言ってもらえた金曜日。

8/21。朝から「今日って何の日だっけ?」と何度も頭に「何かの日」だという事を私に訴えかけてくるような、そんな日で。誰かの誕生日でもないしな。。そんな風に思ってはやり過ごしていました。

天気がいいので、布団を丸洗いして、干して‥をして、ゆったりした時間を過ごしていたのだけど、ふと携帯を手にすると、着信の画面。病院からでした。「なんだろ?」何気なく電話をとると相手は少し暗い声。
「本日、久美子さんの病状も良くなってきたと言う事で、大部屋に移させていただきました。」
「あ!ありがとうございます!」
「ですが、容体が急変しましたので、ご家族の方来られますでしょうか?いつくらいに来られますか?」

??
良くなっているとの報告の後なので、どういうことか一瞬想像出来なくて。
でも、看護師さんの言い方はすぐ来いって感じで。

「あの、急変ってどういう状態の急変なんですか?」と聞き返した。
「呼吸が止まりそうな状態です」

と。あ、死ぬのか!と思ったら、すぐに出かけるモードに切り替わり、「わかりました。すぐに行きます」と電話を切った。
とりあえず、家から5分くらいの所なので、急ぎつつも、姉に電話。
「なんか、大部屋に移ったみたいなんだけど」
「おぉー!良かった!」
「でも容体が急変って言われたの。すぐ来いって。」
「は??どーいう事?」
「呼吸が止まりそうだって言われたから、来れる?」
「え!なにそれ!急じゃない?」
「いや、良く知らんけど、とにかく来て?」

話してる私、意外と冷静だった。
行動しながらも、あー、明日満月だからかな。とか、お母さんお迎え今日なのか。とか。間に合えばいいな。なんて、そんな気持ちだった。

すぐに病院に着いて、病室に向かう。室内には看護師さん2人と、医師がいた。
みんな黙っている。
呼吸器を付けられた母は、口を開けた状態。心拍の機械は少しピコンと波を打つくらいだった。
目の前の母に声をかけてみる。

「おかあさーん」
反応なし。おでこに手を当ててみる。
もう冷たい。

「えーっと、、これはもう亡くなってるという事ですかね?」と聞くと、うなづきづらそうに看護師。
そして医師が、「12:10くらいに自発呼吸をしてない状況に看護師が気付いたという状況です。病状は安定していたので、大部屋に移って、昼食もリハビリ士の監視の元でお食事を召し上がられました。介助の手を借りる事なく、全てご自分で完食されたので、快方へ向かっていると思われてましたが、その後。。という感じです。
発見された後、喉に何か詰まらせたのか?と吸引もしましたが、特に嘔吐物などは出てこなかったので、私達も原因がハッキリはわかりません。考えられるとしたら、濃い痰が気管支に詰まったか、血管の詰まりかと。解剖をしないとハッキリとした原因は分かりませんが。」

この説明を受けている最中に、あぁ、病院は家族に何で死んだのか?って責められることとか結構あるんだろうなって思った。特にそんなつもりもないのに。

私は母の死をもうすでに受け止めていた。施設入所の時に散々泣いて。まだ死んでもいないのに、お別れだって思って。あとは施設で幸せな最期が迎えられますようにって願ってたの。

だから、ご飯を満足に食べられて死んだって聞いて、良かったねって思った。いつ死んでもおかしくないくらい、ガリガリだった。栄養が吸収出来てなかった。だから、食べては出し、を繰り返して。

母の遺体のお腹には最後に食べたご飯が詰まってる。お母さん、幸せだって思った。良かったね。

そう思ったら、全然涙も出ないし、全然悲しくもなかった。人の死って悲しいもんだと思ってたけど。不思議と悲しくなくて、喜ばしい最期だったなって思えた。
ありがとう。お母さん。

私も、最後に幸せだったよって思えるように残りの命、大切に生きていこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?