見えないものを見ようとする意識。
ここ何ヶ月かで、見えないものを見ようとする意識が高まり、人生がうまくいき始めている感覚がある。スピリチュアルとか、占いだとか非現実的な事は、まぁどちらかというと半信半疑で、神様なんてあんまり信じない。どちらかというと、宗教という言葉を毛嫌いしていたような自分が、こんなにも見えないものを信じようとする気になったのは、やはりコロナ騒動がきっかけだろうか。
スピリチュアル的な事を述べるYouTuberは声を揃えて言う。地の時代から風の時代へ。二極化。これからはどんどん世界が良くなる。集合的無意識を作れ。そう言われたら、そうするしかないんじゃないかと、私も勝手に身体が動き始めているような、不思議な感覚になっていった。でも、もしもそうなることが約束されているなら、私も動き出すことに悪い事はないだろうと思っている。
今、勝手に入ってくる情報を出来るだけ遮断して(テレビを捨てました)、自分で必要な情報を取りにいくようにしている。情報が溢れている世の中で、自分がうまく身の振りをコントロールするには、取捨選択がかなり重要だと感じる。自分が何を選び、どう生きるのか。ここに常に意識を向けていくことで、脳の無駄な疲労が回避出来る。私、本当に今まで無駄に脳を痛めつけていたんだなと実感。
ワイドショーのニュースを久しぶりに見たけど、芸能人が事故を起こしたという話題で一日中もちきり。そんなに取り上げる必要があるのか?と疑問に思うほど。異常だなと思うくらい、付けるとそればかりやっている。
人の失敗を見て、何を学ぶかは受け取り側の問題。でも、そこまでしつこく報道して、結局何が言いたいかがまるでわからない。
小5の娘は言う。「芸能人になりたいなと思っている子がいても、1度の失敗でこんなにも悪く言われてたら、なりたいと思う子が居なくなるよね。(テレビは)子どもの夢を潰したいのかな」
本当にその通りだ。後に続けて「学校の先生は教えてくれたよ。宿題を何回忘れたとしても、先生はその人が悪い人だとは思いません。」と。娘の担任は勤務して2年目の若い先生だ。若い人でさえも、そういう教育が出来る。それなのに、テレビで報道する話題に発信する側は疑問を持たないのかと不思議でたまらない。事実を追いかけて、見えるところをとことん追求して。結果として何が生まれるか。
そんな事をしている暇があるのなら、見えないものを見ようとする意識を高める努力をした方がいい。事故を起こしてしまったのは、疲れていたから判断が鈍ってしまったのではないか。思わず逃げてしまった事は、焦りもあったんだろう。とか。もちろん、結果として起こしてしまった事は変わらない。でも、悪い事をしたのは本人が1番わかっている。
日本人は真面目で、失敗に対してそこから学ぼうとする意欲がある。とてもいい所だと思う。だが、人の失敗から何を学ぶかという事ではなく、失敗を叩いて、失敗する人を撲滅させるという風潮はいかがなものか。失敗は誰にでもある。人殺しは勿論いけないし、社会のルールだってある。でも、人間間違う事がゼロでは無い事を誰もがしっかりと理解して、赦す事。これが今の日本には必要なんじゃないだろうか?
少し偏った意見かもしれないが、私は自分の失敗も赦せる人間でいたい。命を最期まで無駄にしないために。
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