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死ぬまでに学ぶべき事。

母親が認知症になり、色々な事がことごとく出来なくなっていく現実に晒されて、正直落胆するばかりだった。そして、介護に向き合う父親の負担のケアもしていたわけだが、そんな中で父親が母親の愚痴や罵ってばかりいることに、こちらも怒りが湧き、1度だけ怒って訴えた事がある。

「お母さんが死んだ時に、私は両親がお互い恨みあって別れる所なんて見たくはない。お互いがありがとうと言って最期を迎えて欲しい。」
でも、「俺、ありがとうなんて言えないし、思えないよ」と言って泣いていた父親に、「なんで」という悔しさ反面、介護している身は相当辛いのに、酷な事を言ってしまったと、ものすごく後悔した。言っちゃいけなかったかもしれない。なんて事言ってしまったんだろう。ただでさえ辛い状況なのに、もっと追い詰めるような事を。。

その後は、なんとか父親のメンタルを軽くしようと、色々提案してきた。あまりに便失禁が度重なり、泣きながら電話をかけてきた翌日は、仕事を急遽休んで、朝から母親のデイサービスの送り出しに付き添い、暇があれば動いてしまう父親を休ませるため、午前中いっぱい、父親との会話に花を咲かせた。母親の介護の愚痴ではなく、父の職場での武勇伝や、若き頃の父親の歴史にひたすら耳を傾けた。
先日は、説得に応じてくれた母親が、ショートステイに出かけている間、私の家族と姉の家族が実家に集まり、父の大好きなBBQをしようと提案した。私の夫も、姉の夫も、親身になって話を聞いてくれて、父親はここぞとばかりに酒を浴びるほど飲み、酔っ払った。でも、楽しかったらしい。17歳になった初孫と庭で語り、大満足の1日のようだった。翌日、父からの電話。

「今日、お母さんが帰ってきて、また過酷な介護生活が始まりました」と。

でも、母親も3泊4日のショートステイは、介護に大変な父親を休ませるため!と、こちらの提案に自ら「頑張ります」と宣言し出かけたのだ。認知症ではあるけれど、父親への気遣いは忘れず、いつも迷惑をかけているからと、嫌がっていたお泊まりに頑張ることを決めた時の母親がいた事も事実だった。
父親が、「お母さんが帰ってきて言ってたよ。やっぱりうちが1番だって。」と言った。
その報告からは、今まで愚痴を言ってばかりの父親が、母親も自分の為に頑張ってくれたんだとわかったのだろうと思った瞬間だった。
少しずつ前を向いている。夫婦が最期の別れを迎えるまで、私たちの介護から学ぶことは終わらない。そして、私も母親が死ぬまでに伝えたい感謝を考えていきたいと思った。

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