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また、海のトリトンの最終回について書きたくなった

Twitterの自分のツイートではないコメント欄でアニメ「海のトリトン」の最終回について熱く語りそうになって、いかんいかん!と反省したということが、つい先日ありました。

以前にも私は、何度か「海のトリトン」についてブログやnoteなどで書いているようですが、やはり語りたくなったら書いてしまう。その時の出来事で、私の中で揺さぶられて浮上してくる子どもの頃の記憶。
今日も、スクールカウンセリングの仕事に向かう電車の中でスマホを手に一気に書いたので、公開しておきます。
しつこいなぁ、と思わずにお許し頂けたら嬉しい。

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「海のトリトン」を初めて見たのは小学校の頃。原作は産経新聞に連載していた手塚治虫先生の「青いトリトン」(後に原作も「海のトリトン」に改題)でしたが、アニメはもう原作とは別の作品となっています。
手塚治虫ファンですが、アニメの「海のトリトン」も別の作品として素晴らしいと思っています。

監督は富野喜幸(現・富野由悠季)監督。富野監督の初監督作品です。

トリトンは、子どもだった私に最も衝撃を与えた作品です。
子どもだった私がはじめて、その日のおやつや明日の遊びのこと以外を考えた、それこそ生まれて初めて哲学をした瞬間をもたらしたのが、この最終回だったと思ってさえいます。
小さかったからこそ、その衝撃は大きかったのだとも。

アニメに夢中になった(今で言うオタク化)のは「宇宙戦艦ヤマト」だと思っていましたが、どうやら「海のトリトン」のようです。
子どもの頃のアニメの記憶をたどると、「海のトリトン」がガガガと浮上してきます。特に、「海のトリトン」の最終回の記憶が・・・・。

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アニメの世界では、主人公が悪者を倒す、いわゆる「勧善懲悪」というのが当たり前でした。
アニメ「海のトリトン」も、トリトン族の生き残りの緑の髪の少年がイルカに乗って、トリトン族の遺物・オリハルコンの短剣を手に、悪者ポセイドン族と戦うお話、そんな風に思いながら毎週ワクワクしてみていました。

でも、時々、「うん、ちょっと違うのでは?」と首をかしげるようなお話も挟み込まれている。ポセイドン族、トリトンからすれば敵のヘプタポーダの物語などは、切なくて泣いてしまった記憶があります。

そして何か違うぞ、の、そのトドメ、そして衝撃が最終回で訪れたのです。
古い作品なので、ネタバレ云々あまり気にせずに書きますね。

オリハルコンの短剣を手にポセイドン族の本拠地についにやってきたトリトン。しかしトリトンがそこで見たものは・・・・。

地下の海底都市でひっそりと生き延びて暮らしていたポセイドン族の人々がトリトンの短剣の光で絶滅した姿でした。
つい先ほどまで生活が営まれていたのが明らかな地下都市。母親に手をつながれた子どもも母親も、買い物帰りとおぼしきおばさんもおじさんも、出店の商人も、皆死んでいる。
子どもの私は、え?え?何これ?と、トリトンが画面の中で叫んでいるのと同じように、トリトンと一緒に混乱したのを覚えています。

私が書くよりずっとわかりやすいので、Wikipediaのアニメ「海のトリトン」のストーリーを引用しておきます。

最終話で明らかとなる「実はトリトン族こそが悪であり、ポセイドン族が善であった」という善悪逆転の衝撃のラスト

Wikipediaではトリトン族が悪、善悪逆転と書いていますが、私は、どちらが悪でどちらが善かということは、作品の中では明言されていないと思っています。

ポセイドン族はアトランティス人によってポセイドンの神像への人身御供として捧げられた人々の生き残りであった。そして、ポセイドン族の逆襲を受けてわずかになったアトランティス人がポセイドン族に復讐するために生み出し、末裔であるトリトン族へ受け継がれた武器が「オリハルコンの短剣」だった。ポセイドン族がトリトン族を殺戮してきたのは、あくまでも自らの身を護るためだったのだ。

オリハルコンの短剣とは、今でいえば核兵器。
そして、戦い・戦争というのは、立場、視点が違うと善悪は違うのだということ。
『善悪の相対化』
子どもの頃、そんな言葉は当然知りません。ただただ小学生だった私はその最終回に衝撃を受けました。

こんな『善悪の相対化』なんてものをアニメで表現したものがこれまであったでしょうか?私の記憶にはありません。
しかし、アニメでそれをやってのけたのが富野監督の「海のトリトン」。

富野監督! あなたは小学生だった私に凄いものをぶっ込んだのですよ!

最終回のタイトルは「大西洋陽はまた昇る」。
全てを知ったトリトンが、それでも、またイルカとそしてトリトン族の女の子ピピたちと大西洋を突き進んでいく。
呆然と、そんなトリトンを見つめていたのを覚えています。

何をたいそうに、と思われるでしょうけれど、小学生でしたからね。それだけ衝撃を受けたわけですよ。

この最終回のストーリーは、脚本を富野監督が無視した富野監督独自のもので、事前に言うと却下されると考えて完成まで黙秘を通したというのは有名な話で、Wikipediaにも書き込まれています。
子どもだましのアニメを作らずに、哲学をぶちこんでくる。このトリトンの最終回の思想・哲学は、後の富野監督の作品、ロボットは出てくるけれど戦争アニメ(ただし反戦)のザンボットやガンダムに引き継がれていったものと思われます。

富野監督は、御年79歳(2021年8月現在)。
戦争中に生まれ、終戦時は3歳。戦争時の記憶は無かったとしても戦後の混乱期を生きられた方。
その時代を生きて得た哲学が、富野監督の作品に注ぎ込まれている。その始まりがあの富野監督の初監督作品「海のトリトン」、特に最終回だったのだと思います。

富野監督に限らず、どのクリエイター達の作品にも、その人の持つ哲学が注ぎ込まれています。

子どもの頃に観るものは、その後の人生哲学に大きな影響を与えます。
何かを発信する人は、特に子どもが見るものを作り出す人達はそのこともしっかりと頭にたたき込んでおおかなければならないのだろうと、子ども時代の自分を顧みても思います。

アニメ制作者、絵本作家、漫画家・・・・子ども達の憧れの職業としてYouTuber。
今の子ども達はYouTuberを憧れの職業にあげるくらいにあたりまえにYouTubeを見ているのでしょう。

アニメや絵本や漫画は、一人で作るものではないので、世に出るまでに他者の意見に触れ、更に磨かれたり、そぎ落とされたりしますが、YouTubeはどうなのでしょう?

憧れのクリエイターやYouTuberの言葉が子ども達の心の引き出しにしまい込まれる。
確実に、子どものその後の生き方に影響を与えることになります。私が「海のトリトン」に影響を受けたように。

何かを発信するということは、非常に重い作業だと思っています。
ああ、凄い作品だなと思う作品を生み出している人達は、本当に多方面に学ばれて、自分の作品が与える影響をしっかり自覚しながら作られているといつも思います。自覚しているからこそ、多方面に学ばれ、自分を常にアップデートし続ける。

そう、手塚治虫先生も、富野監督も、宮崎監督、高畑監督・・・・。広い分野の知識を頭の中にたたき込み、自分を錬磨しながら作品を作り続けてきた。

子どもの憧れの職業に含まれるようになったYouTuberの人達も、そうであって欲しいなあと思うのです。
いえ、YouTuberだけに限らず、Twitter等のインフルエンサーの人達にもいえることかもしれません。今や、誰でもが発信者な時代なのですから。

表現の自由には、重い責任もついてくるのではないでしょうか。

さて、駅に着きました。それではまた。

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