爺とえみ

小学校二年生。私が初めてお葬式に出た人。それが父方の爺だ。
田舎の通夜葬式は、葬儀場の葬儀と違い、祭りかよ。と今なら突っ込む。
見知らぬおばさん達が(向こうは知っていたようだが)どんどん家に上がってきて、台所に向かう。
平家の家のふすまが全部取られ、大きな一つの部屋になっているし、何やらお菓子もいっぱいあるし、大人のおじちゃん達はお酒を飲みまくってるし、みんなが大集合。
爺が死んだことも分かっていたし、ちょっと隣の部屋にいけば、もう動かないし冷たくなった爺がいる。

あの時は言葉を知らなかった「複雑」。
爺が死んだ、初めて人の死に触れた感情と、お祭りのような少し楽しい感情。

夜に突然雨が大雨になって雷が鳴り響いて、ガラスがぶっ飛んだり、知らない人(当時の私が親戚関係を把握しているはずがない)人達がみんな泊まって沢山布団が並んでいたり、通夜葬式だけで、長々書ける程だ。
一番解せぬのは、ひたすら小さなおまんじゅうを食べていたら、
「一人でそんなに食べたん!?」
と、見知らぬ人達(私が)に大笑いされたことである。
でも、あのおまんじゅう、美味しかったなぁ。

そんな爺に、最近私はよく似ている。と言われるようになった。
爺の子じゃないんか、と言われるくらいなのだ。

といっても、私の中の爺の記憶は、もう病院で、私は毎週父親に連れられて病院にお見舞いに行っていた。
まずバスに乗る前に、お菓子バックを買って貰って(今でもあるのだろうか。アニメ絵の紙の簡易的な子供用バッグにお菓子が詰まってるやつ)それを肩から下げたら準備完了。
病院に着くと、爺の病室に飛び込んでいく。
そこからはもう私の遊ぶフィールドだ。
今思えば他の入院患者様ごめんなさいだが、田舎だから許されていた部分が大きいと思う。

父親は勿論私を怒ったが、その父親を怒るのが爺だったらしい。

そこでの私の大きな仕事は、詰め所に飲料タイプのカロリーメイトを取りに行くこと。
ちゃんと病室、爺の名前、要件を大きな声で言って、カロリーメイトを受け取ると病室に走る。
今思えば、私は医療スタッフさんからも、他の患者さんからもあたたかく見守ってもらっていた。

そんな記憶しかないものだから、似ていると言われても全くピンとこない。
親指の爪の形は、父方独特の形ではある。丸っこくて横幅があるのだ。
だが爺の子と言われるほど似ていると言われて、不思議な感覚がする。

爺は広島神楽の舞手だった。昔のふるーい資料には、爺の名前がある。
父親も舞っていた影響で、私も広島神楽は好きである。
だがそれは親戚ほぼ全員に当てはまることだ。

それでも私は特に爺に似ているらしい。
特に怒りを感じた時。まぁ、詳しく書くとドン引きされるので内容は省かせてもらうが……。
とにかくやべえ奴だと思って頂ければ良い。

似ている。何故か最近本当にその言葉が嬉しい。

私がこの先やらかしても、誰がなんと私を怒っても。

「あがに(そんなに)えみに言うちゃるなや」

と爺が味方になっていてくれる気がするから。


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