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ひめキュンとHimekyun


画像(押し入れを整理してたら見つけた歌詞和訳ノート。作 当時中学1年生の私。)

ロックで きらきらしていて 会いたいと思う気持ちが沢山になって。

部活が終わったらそのまま車に乗ってTSUTAYAやサロキに向かう日々。

買っても使ったこと無かったスケジュール帳だけど、この頃はライブの予定が埋まっていった。

会えるのは週末や、平日の遅い時間から始まるリリイベくらいしかないのに
全ての予定を書き写してた。

学校に行く前と、寝る前にはパソコンを立ち上げてブログをチェックする。

部活の試合の前の日は心臓がうるさくて眠れないけど、あの曲を聴いたら眠りに着けた。

試合の日の早朝からDVDをつけてあの曲を聴いてから出発した。

持ち物にはグッズのクリアファイルとサイン色紙。頑張れのメッセージ付き。

行きの車の中でもずっとあの曲を離さない。

試合会場に着いたらイヤホンや音楽プレイヤーは使えないから、頭の中で何回も繰り返し再生したり、
少し口ずさんだりもした。


過去すぎる過去のことだけど、今だって振り返ると、あの日々にひめキュンがいてくれたことにはとても感謝しているし、その後の人生にもすごく影響されていて、

この出会いが人生を変えたと言っても過言ではない。


ひめキュン で、
Googleも お気に入りも MP3プレイヤーも イヤホンも知った。

ライブハウスも グッズも 特典会も  サークルも
オタクも覚えた。

13歳の私にとってこの日々がどれだけ最高で、幸せだったか。



でも実際は学校の友達や周囲には 変わり者 だと、好きなものを否定された事もあった。

少し隠した時もあった。
悔しくて悲しい時もあった。

でもそんな時、現場に行けば顔馴染みのファンの大人の方達が沢山いて、

場所をあけてくださったり、○○ちゃんの立ち位置はこっちだよって教えてくれたりした。

何よりもそんな頼もしい大人たちが
ライブ中にすごく楽しそうで、愛に溢れていて、ライブが楽しいのはもちろんだけど、

みんなが笑っていて
見守っていて

全部がきらきらしているあの場所があったから

そんな声はいつの間にか聞こえなくなっていたし、学校の友達もひめキュンを好きになって、
授業中に鼻歌を歌ったり、似顔絵を描いたりするようにもなった。

今でも時々訪れた時にファンの方達が変わらず大きな愛で応援しているのを見ると
帰ってきたなぁなんて気持ちになるし

やっぱり大好きだなあと思う。

2期、3期と続いたHimekyun。

私の中で初代ひめキュンの存在がすごく大きくて

だけどその存在をまた、何倍にも何十倍にもしてくれたなあと思ってる。


かたちあるものを守っていくことの難しさ、
受け継ぐ事の大変さ、

そんなもの計り知れないけど、常に手を伸ばし続け、時には何かを失ったり、苦しんだり、悔しかったりしながらも、その時々の自分達を精一杯に輝かせ、みんなで掴んで守ってきたから、今の形がこうしてあるんだと思う。


2期3期のライブは1年に数回しか見れなかった分、毎回1回1回がすごく濃くて、
それに会えなかった時間の長さが長いほど、
キラキラが増す(できる曲が増えたりそういうの)あの現象に涙腺が耐えられず、
毎回気付くと涙が出ていたりした。


初代のひめキュンはお姉さんで、あの経験がたくさんのことを教えてくれて、支えられた。
ただ楽しくて、すぐに会いたくて。
好きなものや事を大切にする難しさも素晴らしさも知った。



2期3期のHimekyunは、自分たちの色を大事にしながらも、強くはっきりと芯のあるアイドルになっていって、続けていくこと。信じること。小さくても大きくても、その日をめいいっぱいに生き抜くかっこよさを教えてもらった。

初代ひめキュンが終わったあと、みんなに会えてなかったら出会えなかった感情が沢山あるし、ひめキュンをいちばん好きでいてくれたみんなには感謝でいっぱいです。


果てしなき旅 は果てしなく、
遠くが見えなくて失いそうにもなるけど、
(ひめキュンとしての)みんなの旅にゴールがみえて、そこにたくさんのファンの方がいて、思い出も花を咲かせていたらいいな。私の思い出も少し、参加させてもらおうと思います。

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