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【1】幼少期 「自分の居場所がわからない」

 子どもの頃を振り返ると、好奇心と遊びたい気持ちがほとばしり、羽目を外しては「迷惑をかけるな」と周囲の大人に叱られた記憶がよみがえる。一方で、アトピー性皮膚炎のために遊ぶときは白い手袋をはめ、肺炎で時に高熱を出して心配されたりする。そんな病弱な面も同時にあった。

 調子に乗ると誰かに攻撃されるという記憶がある。生意気な口をきいて同級生数名に公園に呼びだされたり、一時的に無視されるような経験もした。そのときに感じたのは「自分をそのまま表現すると居場所がなくなるんだ」ということ。

人に心の内を明かして深くかかわりたいと思っているのに、それ以来、その場の様子をみながら本音を調節するようになった。自分が感じている本当のことを言うと、ホームだと感じている場所がアウェイになってしまうから。

 元気のない私を心配した両親は地域のサッカークラブへの入部を勧めてくれた。この場では、一転わたしはまた強気に発言するようになる。自分はチームの役に立っているし羽目は外していないから居場所は守られると感じていたからだ。

その後、中学校、高校でもサッカーに邁進した。しかし、結局どの場所にいても、そのときどきで「居場所を失わないように」、時にストイックに厳しく、時に空気を読んで馴染みやすい人柄をつくることで、その場ごとに居場所を確保できるような役割を演じていたように思う。けれどそうやってつくった居場所につながりをいつも感じきれずにいた。

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