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「序詩」は、尹東柱にとってリスタートの詩

福岡・尹東柱の詩を読む会では、毎月第3土曜日に尹東柱詩集「空と風と星と詩」から1編を取り上げる。その際、発表者が作ったレジュメを基に、皆で語り合う。

1月は「序詩」だった。

序詩  1941.11.20

死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。

今宵も星が風にふきさらされる。  (伊吹郷訳)

詩を読む会の前に「序詩」を読んで感じたこと

発表を担当したので、ここにレジュメを掲載しておく。

初めて読んだ時、決意を高らかに宣言して、なんて純粋で潔いのだろうと思った。


 
次に読んだ時は、日本の支配が激しさを増す重圧に押しつぶされそうになりながら、自分の行くべき道を思い葛藤する姿が見えた。

それでも信じる道を行きたいと願うが、行けばこれまで以上の苦難や試練を伴うことも分かっている。
何度も逡巡を繰り返した末に尹東柱が出した結論は、「わたしに与えられた道を歩みゆかねば」。

自国の言葉が奪われてゆく中、朝鮮語で詩を書き続けた尹東柱は、高潔な人というイメージが強いが、決して聖人君子なんかではない。ごく普通の青年なのだと思った。
 
「死ぬ日まで」とは、言い換えれば、生きている限りということ。
自分が進もうとする道が容易ではないことを分かっていたから、彼は、何かあるたびに空を見上げ、「一点の恥もないように生きていきたい」と神に願い、祈り、自分に言い聞かせながら、これまで乗り越えてきたのだろうか。

その一方で、「葉あいにそよぐ風」にも心を痛めてしまう、弱い自分も知っている。
 
「星をうたう心」とは、詩を作る心。
詩集のタイトル「空と風と星と詩」は、当初「病院」だった。
病院が病める人たちを治癒する場であるように、自分も詩作を通して人々を癒やしていきたいと考えたからだった。

女性や子ども、労働者、小さな動物や昆虫にまで心を寄せる彼ならではの性格が、「生きとし生けるものをいとおしまねば」に表れ、「そしてわたしに与えられた道を歩みゆかねば」と詩人としての決意を述べる。
 
そして最終連の「今宵も星が風にふきさらされる」では、大きな試練に立ち向かおうとする尹東柱を見るようだ。
 
戦局の悪化、日本留学のための創氏改名の決断と、この作品が書かれた1941年11月は、彼にとって大きな転換点となった時期。
彼を待ち受けているのは、信仰でしか乗り越えられないような、とてつもなく大きな試練だったのでは、と思う。

そして、その試練に出合うたびに、彼は何度も「一点の恥じなく生きたい」と願い、祈り、誓い、乗り越えようとしたのだろう。
「序詩」は、尹東柱の生き方を示したものであり、懸命に生きようとした彼の姿が伝わってくる。

日本語と韓国語、それぞれの言葉からくるイメージをつなぎ合わせて作品の世界を探る

討論は、2時間半近くに及んだ

尹東柱が延禧専門学校卒業記念に19編からなる自選詩集を出版しようして、手書きの詩集を3部作ったこと。

詩集のタイトル「空と風と星と詩」に「童柱」と、彼が童謡詩を書いていたときに使っていたペンネームが書かれてたいこと。

その詩集の巻頭にあるのが「序詩」であること。
などに考えが及んだ。

その中で感じたのは、「序詩」は、決意の詩というよりも、尹東柱がリスタート(再出発)をするために書いた詩ではないかということ。

これについては、また追って記したい。

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