見出し画像

「雪降る地図」のテーマは、未来を信じる力

5月の例会は、「雪降る地図」だった。

  雪降る地図  1941.3.12
 
順伊が去るという朝 せつない心でぼたん雪が舞い、悲しみのように 窓の外はるか広がる地図の上をおおう。部屋の中を見廻しても誰もいない。壁と天井が真っ白い。部屋の中まで雪が降るのか、ほんとうにおまえは失われた歴史のように飄然(ふらり)と去ってゆくのか、別れるまえに言っておくことがあったと便りに書いても おまえの行先を知らず どの街、どの村、どの屋根の下、おまえはおれの心にだけ残っているのか、おまえの小さな足跡(あしあと)に 雪がしきりと降り積もり後を追うすべもない。雪が解けたら のこされた足跡ごとに花が咲くにちがいないから 花のあわいに足跡を訊ねてゆけば 一年十二ヵ月 おれの心には とめどなく雪が降りつづくだろう。
 
<疑問に思ったこと>
なぜ、窓の外に広がる光景を<地図>と表現するのか。
この雪は悲しみの雪なのか。それとも変化する雪なのか。

<考えたこと>
雪がまちを覆い尽くすように、自国の言葉や文化が失われてゆく悲しさが、作者の心の中を覆ってゆく。
まるで、自分がいる部屋の中まで雪が覆うように、彼の悲しみは深い。

順伊は、尹東柱にとって大切なもの。例えば、同胞、言葉、文化…。
1941年3月。日本による言論統制が厳しくなり、体制に迎合し、筆を折る人も多かった。
尹東柱と同じく、文学を志す仲間や、尊敬する師の中には去って行った人もいたのではないか。

そうした人たちを見ながら、彼の中に「自分に何かできることがあったのではないか」と、ある種の悔いや反省があったのではと思う。
失われた歴史のようにふらりと去っていく。ふらりという言葉に、大切な人、大切なものが突然目の前からいなくなる不条理さがにじみ出ている。

雪が溶けると足跡は消える。だから、「雪が溶けて、残された足跡ごとに花が咲く」という表現は、現実的ではない。
これは、尹東柱の、こうあってほしいという願いや願望を表す。その思いを心に刻み、よりどころにして進もうとしている。
その先に未来が広がることを信じて、「信じるしかない」「信じて歩むしかない」という気持ちを表現したのだと思う。

そう考えると、1年12カ月降り続く雪は、悲しみの雪ではない。
むしろ、再生や新生を意味する雪。雪が降ると別世界になるように。

地図は朝鮮という国や文化を比喩した言葉であり、「雪降る地図」というタイトルには、悲しみの雪に覆われた朝鮮の国や文化を忘れないという思いが込められている。
◇        ◇
尹東柱の作品は、どんな苦境の中にいても必ずどこかしら希望を見いだしている。日本の植民地支配下という、朝鮮民族にとって最も過酷だった時代を生きながら…。

なぜ、それができるのか。それは未来を信じる力があったからだと思う。

2023年にWBCで日本チームを優勝に導いた栗山英樹監督は、自らの体験に基づき、自著の「信じ切る力 生き方で運をコントロールする50の心がけ」(講談社)でこのように語っている。

僕が今、最も伝えたいこと。それは、「信じる」、もっと言えば「信じ切る」ことの大切さを、改めて日本の人に思い出してほしい、ということです。その力は、誰かの、そして自分の人生を、さらには世の中を、大きく変えることになると、僕は信じています。
◇        ◇
ところで、なぜ雪がとめどなく降り続くのか。
それは、まだまだ困難な時代が続くことは分かっている。再生への道は続くから、希望を持って生きていこうという思いなのではないか。

会の仲間で詩人の杉真理子さんは、「詩人とは、言葉の力に希望を託して生きていく人だ」と言った。
尹東柱も、言葉の力を信じ、希望を託して、病めるこの世の人々を癒やしていきたいと、書きためた幾編もの作品の中から19編を選んで「空と風と星と詩」を編んだ。
だから時代や国が変わっても、私たちに優しく語りかけてくるのだ。

この作品にサブタイトルを付けるなら、「再生に向けて~未来を信じる力~」
◇ ◇
順伊は、1939年の作品「少年」にも登場する。また、1938年の作品「愛の殿堂」にも順(スン)が登場する。
これら三つの作品の関連性については、いずれ考察してみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?