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Rorate caeli

だいぶ遅くなりましたが、2019年12月にザンクトフローリアンのアドベントコンサートに行ったら、帰りのバスに乗れなかった時の話です。

コンサートが終わるのが6時なので、案の定、6時のバスには乗れませんでした。

しかし、それは想定内でした。その年の9月にザンクトフローリアンに行った時に、日曜日のバスは1日に5本しかないこと、次の最終のバスは午後8時にあることを確認していました。(この時もバスに乗れず、3時間くらい待っていた間にアロイス君に再会できたのでした)

そして、この日の夜7時からRorateamtというミサがあることを知っていたので、8時のバスを待つ間にミサに行こうと思っていました。アドベントコンサートの特別ステージが手際よく撤去されるのを見ながらミサを待っていました。

キャンドルの光だけのミサでした。男声合唱団のSchola Florianaに合わせて、グレゴリオ聖歌のRorate Caeliを皆で歌いました。イザヤ書の「天よ、露を滴らせよ。雲よ義人を降らせよ」を歌いながら、こうやって心を整えながら主の降臨を待っているんだなあ、しみじみ思いました。ここには神への音楽が日常にあることを羨ましく思いました。そして、このロラテのミサを見せるために神様は私にシュッツさん、アロイス君、クラウスさんに出会わせたように思いました。

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そして、つい最近シスター岡からRorate Caeliを学ぶ機会に恵まれました。露や水や雨は、神によってもたらされる救いのイメージの一つ。パレスチナは乾季になると水が全くなくなるため、水がないと命の危険にさらされる。それで、真の命、永遠の命を水にたとえたのだとか。

私たちは「荒地」であり、露=彼(聖霊)で潤される。

特にシスターがお好きなのは、パンは小麦粉を水でつないで作る、ということ。天からの水がなければ、キリストにおいて一つになることができないことを示しているからだそうです。

キリスト教や教会音楽について学び始めたばかりですが、シスターやグレゴリオ聖歌の橋本先生やオルガンの岩崎先生の言葉がすうっと染み込みます。キリストは本当に「露」なんだなあと、私はよっぽど乾いていたんだなあ、と思います。素晴らしい先生方やクラスメートに支えられながら、生涯勉強していきます!