分からない

何故大人になっても生きづらいのか
それは自分が分からないからである

もしかするとずっと思春期なのかもしれない
もちろん10代の自分と30代の生きてる感覚や悩みは
変わっていて違うし
自分と他者や社会への理解度は深まっている
それでも自分がクリアで在り続けることは維持出来ない

表現するというのは本当の自分が知りたいという欲求で自分に向かっていくことだ
写真は無意識にのぼらないような何かを露わにする
ハッキリとは分からないけれど確かに写し出された何かを頼りに
「そうゆうものだ」と思っていた自分を解体する時
同時に他者や社会に対して同じ眼差しで疑いを持ち解体することになる

頭がかち割れそうになる
実際の自分というのは潜在的にたくさんの影響や思惑や刷り込みをうけていることを知り
自分なんぞ理想や思い込みや虚構であったことに気付いて私が壊れてゆく

自分自身の存在に耐えられなくなる
特別なんかじゃなかったことに羞恥心と痛みと苦しさで自分から目を背けたくなる
それでも自分を知る喜びは何にも代え難い生きている実感をくれる
写真は私を過去にしてくれる時
確かに生きていたことも同時に認めることが出来る

そうやって爪をたてて血を噴き出しながら
自我という厚い皮を剥き続けた先に
小さく残ったちっぽけで普通の本当の自分と
この目でちゃんと対峙できる

その時やっと私は安心するのだ
この世に生きる私と同じちっぽけで普通な人達と一体化した時
隣の人にもこの生きづらさは少しでも伝わるんじゃないか
他者と繋がれるんじゃないかという希望に変わる

それまでの生きづらさも自分と向き合うことの
痛みや苦しみも
表現することで価値に変わるかもしれないから

そのために完成させようと腹を括る
分からなさに対して真っ向から挑もうと思う
自分から目を背けずに戦おうと思う
そしてそんな自分を差し出し終わらせようと思う

もしかすると私はいつも告白したいのかもしれない

これ以上誤魔化す気も無い
失うものものない 逃げも隠れもしない私になれたら
もう怖くはないから

そんな自分になれるために
今日も分厚いこの肉に昨日より深く爪をたてている

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