働くこと



元々飲食の接客業をしてる人を見るのが好きだった
食べること以外に人から放つ何かを受け取っている感覚がある
しかも年齢も見た目もそこで働いてること自体も、自分の近い友人達には居ない、全く遠い違う世界の人に見えるのに、そんな人から食うことを通じてほんの少し何かを受け取っていることで近くに感じて新鮮な気持ちになるのだ

私は外で食べる時、そのお店がチェーン店だろうが、自営業だろうが、高い店だろうが、そこで働く人達をじっと見てしまう癖がある

特に海外だとそれが強く感じた
台湾に行った時にたくさんの出店に色んな人が店番として立っていて、同じことを何度も繰り返ししてることで研ぎ澄まされた人の所作が無駄なく綺麗で、その鍛錬された腕や肩の筋肉も美しくて惚れ惚れしてしまった

そして美味いか不味いか分からないような味のする異国の食べ物を新鮮で面白いからという理由だけでバクバク食べながら、茹だるような暑さの中で汗水たらしてほとんどやる気のない表情で働いてる人の姿を見ていると、仕事以外でこの人はどんな時にどんな顔をするんだろうと言葉や文化が違うからこそ余計に想像したことを覚えてる

某有名飲食チェーン店に働いて半年以上が過ぎた
此処で働きたいと思ったのは家から近いから時間がとれる、賄いがあるから金が節約できる、表現から遠のいたことをしてリフレッシュしたいという理由で、それこそ写真のためだったけれど、一番の興味は何故どこの店に行ってもクソ忙しそうなのにどこの店員さんもいつも優しくて笑顔で丁寧に接客出来るのか知りたかったからだ
それは自分にずっと足りてない何かのように感じていた

(実際働いてみて、クソどころかバカクソ忙しい、そして日々怒られながらも足りなかった何かを心得えつつある手応えをちゃんと感じている)

ムカつくことや理不尽なことももちろんあるけれど、働くといつも不思議に思うことがある
やっぱり普段だったら絶対に話すこともない人達(おじちゃんやおばちゃんや共通の何かが全くない、むしろ合わない人種の人達)とチームワークをもってタスクをこなしている時にふと、面白いなと思う、社会の中に自分がいて繋がれてる気がするし、それは友達にはないただならぬ可笑しさがある

だけど一緒に働く人達に対してこれ以上むやみに知って近づきたくないなと必ず一定の距離を置く必要がでてくるのだけど、そんな中でもお客さんに対して興味が湧く。その人の仕事もプライベートも知る術がなくても、なんだか出逢ってることが変だなと思って楽しい。そしてその人が放つ何かをもらうことがときどきある。

某有名な飲食のチェーン店で働いてると私が言うと
辞めたパン屋の人にも映画館の人にも
「店の名前(笑)で働いてんの?(笑)」と少し小馬鹿にされるように言われた
安くて洒落っ気のないチェーン店ったからだろう
仕事って世の中で階級があるんだなと思った

私が小馬鹿にされてもなんにも思わないのは働くことの理由がそうした理由だからでもあるけれど、同じ仕事を長く続けれずに色んなバイトを体験してきた自分だからこそ、どんな仕事にも深い世界があって、そこには誇りを持って長くやり続けている人たちが必ず居たことことを見てきて知っているからだ

そして小馬鹿にして笑った人達も、その仕事に誇りを持って長く続けている人達なのだった

私は何の仕事をしてるかに、その職業を長く続けている人達と同じようなプライドを持ってなければステータスも感じておらず、他人に対してもそうだから何も気にしないで気楽でいられるんだろうなと思った

最近、作家とかプライド無いよな
こんな見返りがないのにやれるなんてさ、と言われ
めちゃくちゃ確かに、、、と腑に落ちた
今まで自分はプライドがあるから続けることが出来ているんだと思っていたけど、もしプライドがあったら対価がきちんと支払われる生業になるようもう少し考えるはずだ
それかなんにしろお金が貰えることを選ぶことでその人はやることに対してプライドが持てるし保てるだろう
精神と体力と金を削って作ったとしても対価がロクにもらえなくこんなに馬鹿らしくて辛いことをしているのに
生活の淵に立ちながらもくだらないことにいちいちガハハと笑えていて
未だにこの淵を歩き続ける気でいる自分がいるのは
今までやってきたぶんプライドがボキボキに折れまくってるおかげなのだろう

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