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ピカソとその時代展/ベルクグリューン美術館展

少し前にはなるが、今年のGWの期間に大阪の国立国際美術館で開催されていた「ピカソとその時代」展に行ってきたので、その感想について少し書いていこうと思う。

この展示会はベルリン国立ベルクグリューン美術館に貯蔵されているピカソ、クレー、マティス、ジャコメッティという20世紀を代表する4人の巨匠を中心とする展示会でした。はっきり言ってピカソ以外はよく知らない芸術家ですが、同じ時代に生きて、お互いに刺激しあった芸術家なのだろうと想像します。たいして知識もありませんが、感じたままに感想を言っていきたいと思います。

グラス、花束、ギター、瓶のある静物

なんか、最初はこの「静物」シリーズ?静物って?初めて聞くフレーズです。どうやら静止している物を描いたシリーズっぽいです。なんかピカソっぽくないポップな色合いで楽しそうな雰囲気が伝わってきます。私だけでしょうか?花瓶の花が人の頭を透視して脳が見えているように見えるのは。そこだけなぜかおどろおどろしい感じがします。瓶もただ描いているのではなく、何層かに重なって描いているのはさまざまな視点から見えている物を描いているのでしょうか? 

座って足を拭く裸婦

いやはやなんとも肉感のする女性です。手のひらも足もしっかりとしていて、かなりゴツい感じがします。そもそもこの女性はどうして浜辺で裸で足を拭いているのでしょうか?想像が膨らみます。思うにこの女性はピカソと一緒(ピカソではないかもしれませんが)に海にハイキングに来たのでしょう。しかし、思ったよりも暑かったこともあって周りには誰もいないし、『よし、裸で海に入ってしまおう』と思いつき、海水浴を楽しんだのでしょう。しかし、上がってみると海水で体中ベタベタで気持ち悪い。しかも足の裏は砂ががっつり付くいていて靴も履けない。「仕方ないな」と箱の上に布を広げて(この布は昼食を食べる時にテーブルクロスとして使った残り)砂を取っているところをピカソに絵に描かれてしまった。そんなところだろうか。それにしても手がごっついのは何か力仕事をしているご婦人であろうか。

緑色のマニキュアをつけたドラ・マール

ピカソっぽい描き方の一枚である。正面を向いている目と顔は斜め前方を見ていて、左目は横を見ている。いわゆるキュビズムという様々な視点からの絵を一つの絵の中に描いてしまうと言う斬新な手法です。この描き方は今までの目で見えている1面だけを描くという今までの固定概念を覆した新しい視点で、とても興味深い手法です。確かに対象物には側面も裏面も上面も底面もあり、それは目には見えていないだけで確かにそこに存在するわけです。それをまるで自分の目があらゆる角度からその対象物を見ていると想像して描くこの手法は、普段から私たちが見えている部分だけで判断していることへの強烈な批判にも感じられる。その人の一面だけを見て判断してませんか?対象物の本質まで見えていますか?安易に人を「こういう人だ」と決めつけていませんか?など色々と考えさせられる手法でもあります。もしかすると人は視覚として認識できる物だけに絶対的な重きを置いていて、本当はもっと五感で物を見ないといけないのかもしれない。そんなことを考えさせられました。

題名は忘れました。確か「闘牛士と女」みたいな感じの題名です。ザ・ピカソって感じで顔も目線もあっちこっちにとっ散らかってなんともおかしな感じのする絵です。酒池肉林的な感じのする絵ですが、ピカソの私生活も結構こんな感じなので、私生活を彷彿とさせる絵なのでしょうか?憧れの闘牛士をなんとか誘惑してやろうとする女性(感じ的には踊り子とか娼婦とか)が自分の魅力を精一杯アピール(ってそもそもほとんど裸)して闘牛士を誘い込もうとしているのかな。闘牛士は剣をしっかりと握ってるところを見ると両手を振って飛び込もうとしているわけではないように見えるけど。顔も反対方向を見ている視線もあるけれど・・。手が女性の胸に伸びているところ見ると陥落寸前かと。いつの時代でも男性と女性の性(サガ)が変わりませんね。いやはや・・。

まだまだたくさんの作品があって、たっぷりと2時間ぐらいかけて見ました。本当に、美術館においている休憩用の椅子の意味が今までわからなかったけど、今回は流石に使用しました。美術館賞はいわゆる頭の格闘技的な部分もあるので、体力以上に頭も疲れました。でもああだこうだと考え、想像を膨らませながら見る美術鑑賞は最高に楽しくて、気分転換になります。まさか美術鑑賞がこんなに楽しめる時が来ようとは。人生わからないものです。

来年には「モネ展」が控えているようですので、楽しみにしながらまたこの国立国際美術館を訪れたいと思います。 

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