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映画ミッドサマーを途中退席した奴による退席理由の吐き出し(ネタバレ有)

サムネイル出典:Pixabay(CC 0)

※2020/2/25:誤字脱字やてにをはを緩めに見直しました。一部追記もしています。
こんにちは、DJ emです。ほんとは今パラサイトやワンハリの感想めちゃくちゃ書いててアップしたかったんだけど、かなり食らっててこっちを先に出すはめに……。

アリ・アスター監督の映画「ミッドサマー」見てきました。

で、途中退席しました。

みなさんはご覧になりましたか? 正直あれを見ない人生過ごしたかった。

このコンテンツは、映画ミッドサマーを観て途中退席したチキン野郎による、Twitterで吐き出した「あの映画が物凄くいやな理由」の羅列と補足です。相当長い。

Twitterのみにミッドサマーに関する物事を放流していると、結構な期間自分のトラウマとか「こういうの嫌い」を吐き続けかねないので、noteに格納しておこうというセルフセラピーです。私早くパラサイトとかワンハリの最高だった感想書きたい。でもこの胸糞を抱えて生きたくない。

また、退席後に全体のネタバレ感想考察記事をいくつか観たら、まじでそういう感じだったっぽいので、私の場合は途中退席という形で安全を確保してよかった。100%話の流れ読めてたのに、カメラワーク、色使い、音響、誰からの目線による映像表現だったか、などさまざまな描写方法で生理的嫌悪を抱かせるから、ミッドサマーはタチが悪い。

事前注意文

かなり当てられた側による感想吐き出しとなるため、以下を自覚できている方はここから先を読まないでください。映画を見ることもやめたほうがいい、としか言えない。ネタではありませんし鑑賞時の感情は盛ってませんし、お金もらったりお願いされたりした文章でもありません。完全に私一個人の感想です。

・現在鬱または抑うつを伴う何かの疾患である、過去にそうだったことがある
・抗うつ剤、抗不安剤を服用している、または断薬後そんなに経っていない
・何かとても悲しくてつらいことがあった
・家族および友人知人の別離に対して不安を抱く気質である
・グロテスクまたは個人的に生理的嫌悪を抱く描写が、寝る前にフラッシュバックして眠れなくなったことがある
・生殖としての性に対して多少なりともネガティブ、または興味がない、あるいはそれについて苦痛を抱くことがある
・自分は「自分という自我」を持つことを大切に思っている
・伊藤計劃の小説「ハーモニー」をバッドエンドだと解釈している

ちなみに、「わたし鬱いしwそういう病みとか知ってるし薬飲んでるしwwグロ観てるしwww」という人にこそ、ミッドサマーは絶対見るなと言っておきます。

このような文を書くことでかえって好奇心が湧き、観にいって「しまう」人が増える可能性の自覚もあります。だからこそ、この映画は非常にタチの悪い作品だと思います。「(鬱を経験した)私にとって何が嫌だったか」吐き出すほどに新たな被害者を増やすって、映画の流れ的にも完璧なんですよね。ひどい。

また、ネットというか主にTwitterで「カップルにはおすすめしない映画」と言われておりますが、この映画はそれ以前のレイヤーでおすすめできないと認識しています。

人間を信じられなくなる、死ぬと全て肉塊になる、この社会の仕組み(種を存続維持することが最優先)に絶望してしまう、その仕組みに対して嫌悪感を抱く。現在進行形でそう感じている、またはかつてそう思っていた時期のことを、鑑賞で追体験したり呼び覚ましてしまったりするタイプの映画ではないかと。

あと、個人的にはアリ・アスター監督の「ヘレディタリー」観てから、この監督が見せたい怖さや不快感(+気持ち悪さ)とは何かを理解しておけばよかった。まじで反省してます。すまんかった。もうこういう事故を起こさないように、まじで気をつけます。

以下、当時の身体感覚です。息するのもちょっと苦しくなって退席した。

観に行く前の気持ち(ネタバレ含む)

「おっ! 昨年から話題になってたミッドサマーやな! スチール見る限りドチャクソなカルト村に連れ込まれて、やばい風習や残酷描写てんこ盛り、ドラッグも儀式用のツールとして当たり前にあるし、そして遊びにいった大学生全員いやな死に方して、ポスターの女の子だけ助かるというかカルトに取り込まれるエンドやろな^^。あらすじ見る限り別れる寸前のカップルが行くわけやし、"あたいこんな男いらない!ここで""解放""されます!"宣言エンドやろ。ほんでこのカルト村、確実に近親相姦とか障害者隔離用の座敷牢とかもあるし、外部からの種付けで血を濃くしすぎない儀式あるんやろなー。」

鑑賞前の予測、全部大当たりして逆に引く。

「ミッドサマーってことは夏至やろ? スウェーデンてことは北欧土着文化やからルーン文字出てくるやろ? ペイガニズムも履修しててよかったわー、そしたら壁画や石版めっちゃ考察対象やん! パンフもおしゃれやなー! wikiとか歴史の解説ページ開いて鑑賞後チェックしたろ!(フラグ)」

今となっては考察する気すら起きない。あんなカルト滅びてしまえ。

これはネタでなく、そういうハッピーなテンション持ち込まないと引き摺り込まれそうでやばかった。

ミッドサマーで途中退席した箇所(ネタバレ含む)

ざっくり言うと、神殿で聖典を盗み見してスクショ保存したジョシュが、マークの皮(物理)を着たカルト野郎に鈍殺されたシーンから、次のシーンへ移るまでの「音」です。映像面でも、序盤からここまで蓄積された気持ち悪さに耐えられず、ここで流石に目を覆ってしまいました。何が起きたか分かるけど、そういう見せ方はねえだろ……という状況でした。

で、ここの音で最悪だったのは、ジョシュのうめき声というかいびきです。あのいびきが、脳震盪を起こした人の「あっこれ死ぬかもしれない」的な、聞いているほうが不安になる帯域で間延びした、いびきそのものなんですよね。これが映画館全体にグルングルン回る形で大音量で鳴らされて、「これ死ぬやつでは?という状況を映画館で強制放置させられること」に我慢できず、退席をしました。感情移入しすぎちゃったね……。

また、事前予想が100%当たってて、退席後あとでオチまで何があったかを確認したところ、あまりにも予想通りすぎてそこは一周回ってウケてしまったのですが、それらの展開にどんな演出したのか知って地獄すぎて引いた。その展開わかるけど、その見せ方はなくない?という。

序盤〜退席までの「気持ち悪さ」「不快感」とは、シナリオの意外性や残酷性ではなく、音響、カメラワーク、色彩、VFXといった演出全般で、一連の行動や儀式を動物的な性質が本質だと見せつける「悪意」に対する気持ち悪さ、そして鬱という症状を忠実に表現する不快感に耐えられなかったやつです。

「テキサス・チェーンソー」とかウッキウキで観てたのに……どうして……。

ミッドサマー退席後のツイート:ホドロフスキーに祈る編

ここからはTwitterに書いてたことを挿入しながら、補足を適宜入れる感じです。

上のツイートは、ここまでの内容を圧縮したものです。

ホドロフスキー監督と言えば、アート表現の一環として軽率に血、死体、フリークスをバンバン映像へ出すことに定評がありますが、ホドロフスキー監督はアートを信じてるし、人間と神をも信じた、優しさゆえの残酷性としてこうしたディテールを扱っているのではないかと、なぜか退席後強く思いました。事前のスチール観て、カルト村なんだかホーリー・マウンテンぽいな、と思ってたからかも。中身は全然違ったわ。

以下、ホドロフスキーとアリ・アスター比較感想です。そもそもアートカルトムービーとホラーカルトムービーですし、ジャンルも表現したいことも比較対象ではないのはわかっているのですが、この時は完全にメンタルやられて救いをホドロフスキー作品に求める(あるいは真摯に祈る)気持ちでした。

アリ・アスター監督、「サンタ・サングレ」好きらしいのですが、私と氏の解釈違いがマリアナ海溝ばりに深くて暗い溝があるな、と強く思いました。

カルト的なアプローチで自身を癒す、ということは「ホドロフスキーのサイコマジック」予告編でもいろいろやってるみたい。

ただし、サイコマジックの方は擬似的な殺しや死の体験、魂から出る叫びの発声(プライマルスクリームとか野生解放とか)を個人的な儀式として行うように見受けられます。かつ、「自分はアーティストであり、医師でもグルでもない」と自覚してるホドロフスキー監督が立ち会っているからこそ、一種安心感も得られそうな感じ。

「"あなた"の無意識にある夢の言語についてお話をするために必要な、"あなた"と"誰か"のための儀式、わかる〜〜〜!」という感覚ですね。公開されたら観にいくぞ!

しかし、ミッドサマーはどこまでもゴリゴリに醒めた感覚と、トリップした感覚をないまぜにした目線で、映像内で起きたいろいろな出来事を「私たちカルトの仕様に則って行う場合は、歓迎する」という視線が本当に無理でした。また、その仕様を自覚的に選択できる余裕が、「僻地・ドラッグ・多勢に無勢」の役満で奪われる流れも無理すぎた。

どこまでも「個として今いる社会で受けた苦痛から別の社会へ現実逃避できるラクさと、恋人を捨てる強さを得た代償として、個(自我)を失くされていく」恐怖という意味では、ミッドサマーは凄い作品だと思います。最悪。

ミッドサマー退席後のツイート:鬱的な表現編

ミッドサマーは、主人公ダニーのバッドトリップ〜バッドが抜けてちょうどいいアシッドで洗脳されていく過程の映画だと思います。ホラーというよりはバッドトリップ。しかも鬱または不安症の人がトリップした場合として、描写が完璧。

「明るいことが怖い」とはミッドサマーのキャッチコピーでしたが、ごめん明るいのとかそういう普段のホラーとは違う描写ギャップの話ではなかった。また、カルトあるあるの「みんな一つになりましょう🌞」の押し付けがじわじわ怖いというより、それに対して一言も異議を発することができないまま進行することが気持ち悪かった。怖いのではなく、気持ち悪い。

ある意味で映画館の仕様(携帯オフ・私語禁止・原則途中退席禁止といったルール)を逆手に取って、そうした閉鎖環境でしんどくなる見せ方を意識して作ってないか?という、わかっててやってる表現が多かったのではないかと思います。

以下の演出やシークエンスは特に鬱そのものでしんどかった。ダニー役の人の演技がめちゃくちゃうまかったために、私もつられて食らってしまったのかも。まじでこの感覚わかる人はおすすめしません。

・不安で何度も電話をかける
・つらい物事を繰り返し考えて不安を一人で加速させる
・「何で自分がその目に遭うことなく生きてるのか」わからなくなる
・消極的になり、「気にしてない」という言葉と実際の挙動が一致しない
・不安で頭がいっぱいになったときの泣き方(これ完全にわかる)
・どんなに天気がよくて色彩がカラフルでも、うすーく灰色の膜をまとったように見える世界(そういう映像の見え方超わかる、知ってる)
・同じくうすーいフィルタをかけ、常に遅延して頭の中にグルグルと音が残り続けるような感覚(音響への執着が異常でした)
・「自分が置いていかれること」への過度な不安と、それが繰り返し勝手に脳内再生されてしまう状態
・飛び降りを見たときの、飛び降りる人、空、崖がすべてグレーがかった白い色彩で見えること
・(映画というフィクション内ではあるものの)当事者が現実に見た死や人体欠損、顔面粉砕がフラッシュバックされる(個人的にきつかったシーンの一つ)

これらの状態で見るサイケデリクスは、まさにバッド。勝手に自分が思う地獄の妄想が脳内で展開され、抜け出せない状況を忠実に描いていてほんとーーーーに嫌でした。以下、途中退席までのバッドなサイケデリクス描写です。前述の状態とかけあわせると、本当にきつい。

・「自分は調子悪いからキノコやだな」、と言ってみるものの、「お前ノリ悪い」と言われるのが嫌で一緒に飲んでしまう(物理的にも精神的にも置いていかれる不安の結果取った行動ではないかと)
・「植物が生きている」ことを、自分自体もう生きる気力ないのに強制的にわからされてしまうこと
・お祭りでみんな楽しそうなのに、自分だけ色々やっても楽しめない疎外感(過去にド鬱だったとき、某踊り祭り見て超当てられたときに限りなく近い)
・というか、みんななんでそんな正気のつもりでいるの?この儀式がおかしいと思わないの?気持ち悪い、という勘ぐり
・白夜でロクに眠れないのに、夢か幻覚かわからない置き去り不安の具現化

退席して以降の表現も、パートナーから聞く限りはバッドトリップだなー最悪だなーという感想しかでてきませんでした。

ミッドサマー退席後のツイート:ムラの維持が胸糞編

ここがある意味一番の主題。鬱になってる人に「動物になること」を強制するのは、ダニーにとっては自我を持って考えることをやめるための、解放へ導く福音だったのかもしれない。

しかしながら、私にとっては「たぶん、これまでの映像や音が気持ち悪いと感じる人にターゲットを定めて、こういう地獄を見せるだろう」と読み取れてしまい、直視できそうになくて退席しました。

以下、振り返りのツイート吐露です。

これはかなり慎重に扱わなければならないのですが、私の場合種の存続および生殖のために作られた「儀式という仕様(コード)」を相当警戒する節があります。

「人は生きて死に、人も動物も植物も、その生死について直面するのが自然なこと。大人になったらヤって子供産むのが当たり前。使い物にならなかったら食われる存在。それになんの疑問も抱かず、一連の行為を"みんなで"見届けるのがこのコミュニティにおける仕様」に対する拒否感です。

人間は動物の一種なの、とっくのとうにわかってるけど、あそこまで悪意5000兆%で「お前も動物やで」と言い聞かせるアリ・アスター監督、ほんとひどい。

後半で、(元)彼クリスチャンがカルトの娘と「カルトの女総出でセックスを見守り、その行為に同調する」シークエンスがあると退席後に知って、本当に退席してよかった。そこに愛も快楽も悦びもなく、ひたすらに動物としての種存続の交尾見るのはキツすぎます。いやまじで原始宗教的というか、そういう儀式に対してかなり悪意ある物の見方をオンパレードでやる作品だったんやな、と。

ここはすげーどう言えばいいのか判然としませんが、アートは無意味なもの、遊びも本来無意味なもの、飾りも無意味なもの。しかし、動物としての必須行為を優雅にするものではないか、という私なりの考えが拒否られた気持ち悪さといえば良いのでしょうか。

2020/2/25:追記。私は退席するまでの間「カルト村のやつらの共感の仕方」も激しく気持ち悪かったです。72才になったら死ぬことが名誉、まではそういう文化としてわかるのですが、それに対する悲しみ(死にきれなかったこと)への鳴き方(こういう書き方の方がしっくり来るな)が、非常に気持ち悪かった。

名誉ある死を遂げられなかった人の思う悲しみ、新しい命を授かるカルト娘のセックスの悦び(快感ではなくミッションクリア)、これまでの社会でダニーが受けた喪失と不安への怒り。これらの共感の仕方すべてが薄っぺらいのです。

これはドラッグでカルトのやつらがわけわかんなくなっているとかではなく、またカルトのやつらも本心からそう感じているとも思っていません。「そういう事象にはそういう反応をするプログラムの」動物として存在している気持ち悪さだと考えています。なので、記事冒頭で伊藤計劃「ハーモニー」がバッドエンドと思った人におすすめできないのはそういう意味。
※追記ここまで。以降は初出時に書いたものです。

ダニーが本当に解放されたのか?と、オチまで確認しながら思うのは、彼女は「悲しみの解放と共感を得られたから」とは、私は納得できなくて、そう振る舞う人のような何か(自我がなく、他人の振る舞いに呼応して共鳴する動物)による、「ダニーと一緒に泣いてくれる人(のような何か)たち」を得られた、社会所属の承認欲求か、そっか……という感じ方でした。

結局、誰一人ダニーのつらみを1ミリでも本当の意味で自分で考え、理解してくれる人はどこにもいなかった。その可能性を感じ取ってしまい、私はそんなの見たくなさすぎて退席したのかもしれません。

この記事冒頭で「ルーン文字とかめっちゃ考察してえ〜〜〜!」からの、「考察する気にもなれん」というのは、たぶんここにも関係しており、「すべては種族維持のためである」という、遊びもクソもない装飾だからな気がしています。意図的な近親相姦で神の子(障害者)を作ること自体も、仕様というやばさ。えっそれ仕様なんですか???

そのため、止め絵で見れば確かにミッドサマーってカルト村の装飾や色使いがとても美しいのですが、一方で非常にミニマムな装飾の結果というか、「ここで生きて死に、産むか殺されて食われる」以外の情報がない怖さもあると思います。そこまで引き算すると美学もクソもない。

また、すべての飯が非常にまずそうだったのもポイント。あの飯、ミートパイに陰毛入ってるとかジュースに経血入っているとかそういうキモさではなくて、「単なる動物としての人間形態で食えるエサ」「生殖のためだけのセックスを可能とするための儀式的媚薬」以外の情報がないと受け止めました。

そこに味わう悦びはなく、ただただコミュニティを維持するための人足を駆動させるためのエネルギー源というか。いやまじであのコミューン、神を発明しただけの動物だった。

上記ツイート内に含んだYouTubeリンクは、マッツ・ミケルセン演じるレクター博士による「食を最大限に楽しむ人」の様子です。使っているのは人肉という設定ですが。でも、ここにはレクター博士という「個」が、自由意志で「美食を楽しむ」美しさがある。

最終的には、こういう感情へ行き着きました。ミッドサマーが持つ「気持ち悪さ」は、個人的には鬱状態とバッドトリップの描写精度の高さ、そして考えることや自我を放棄する快適さを強制することだととらえています。

2021/9/19追記:ミッドサマーの配信スタートもあり、こちらを読んでくださっている方が再度検索経由などで増えているようなので、追記と添削をしています。なお、1年半ほど経ってから改めて文を読み直してみて、以下の表現は余計だと考え直し、削除しました。

・「鬱」という表現が頻出しすぎている:冗長すぎると感じ、一部削除や言い換えをしています。

・「二度と見ない」という表現:そこまで強く拒絶的な表現をしなくてもよかったという反省があり、削除しました。早期に修正を行わず、しばらくこの状態で公開していたこと、申し訳ありません。

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