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一ライオンズファンが山川穂高選手とスポーツメディア、NPB、選手会に対して思うこと

僕は一人のライオンズファンとして、山川穂高選手のここまでの立ち振る舞い及び、それをめぐるスポーツマスコミ関係者の報道姿勢、NPB、選手会の対応について、非常に残念に思っている。

どのような言葉が相応しいのかすらわからない。
怒り、呆れ、失望‥。様々なマイナス感情がないまぜになっている。

僕もいい大人なので、周囲の人が不愉快に感じるかもしれないブーイングを球場でしようとは思わない。

「過ぎたことだし切り替えて応援しよう」
「元は西武の選手だし、ライオンズ戦以外は応援しよう」

そういう徳の高いライオンズファンもいるだろう。そういう方々は素直に尊敬する。立派な方だなと思う。

だが、僕個人は今後、山川穂高選手を「プロ野球選手」として認める気はない。少なくとも現時点では。ステークホルダーであるファンのことを蔑ろにする選手を、野球が上手いというだけで「プロ」と呼ぶことは適切ではないと僕は考えるからだ。

僕一人がそう思ったところで彼に痛痒はないだろう。他球団ファンから「いつまでも過ぎたことを」などと言われるであろうことも理解している。

それでも、許せないものは許せないし、「ファン」と一括りにされて「真摯に野球に向き合った結果、山川穂高が許された」などという言辞がメディアに溢れ、事実かのように定着していくことには大きな違和感を覚える。ならば、たとえ僕一人であっても、「それは違う」ということを書き残しておきたい。

僕はむしろ、野球に携わるメディア関係者が「今から野球に真摯に向き合い、結果を出せば山川が許してもらえる」と何の疑いもなく考えられることを不思議に思う。

何の違和感も覚えずに、そう感じることができるのであれば、記者として大事な何かが欠けているのではないだろうか。

端的に言って「プロ野球ファン」という自らの給料の礎の一部を提供している人間に対する解像度が低すぎる。

僕が山川選手に求めている(求めていた)のは以下のようなことだ。

・不倫をするにしても警察沙汰にはならないでほしい
・FA移籍はするにしてもファンに挨拶ぐらいはするべきだろう
・これまでの経緯を考えればパフォーマンスを自粛するぐらいの配慮はしてもいいのでは

我ながらささやかなものだと思う。
この程度の願いすら受け入れる度量がプロ野球にはないのだろうか。

この程度のことを山川選手に諫言する人間が、彼の周囲にはいないのだろうか。

ファンは、無批判にいついかなる時も「温かい声援」を送ることしか、してはならないのだろうか。

報道だけではうかがいしれない様々な事情もあるだろう。だが、ファンがいなければ、野球選手なんて、ただ棒を振りまわしたり、球を投げるのが上手いだけの存在だ。ファンがいて、興行として成立するからこそ、そこにビジネスが生まれ選手たちも高い給料を得ることができる。

そういう基本的なことに対する想像力が一部の野球選手やOB、メディア関係者には欠けている。僕は、山川選手をめぐるこの半年ほどの報道を見て、強くそれを感じた。

        ◆◆◆

プロ野球ファンにとって、本来であれば毎日のように試合があるシーズン中は楽しいものだ。勝てば嬉しいし、負ければ悲しい。連敗が続けばイライラもする。それでも、「日々試合があり、お気に入りのチームの選手たちがプレーしている」という事実には心が躍る。

だが、2023年の5月中旬以降、そうしたプロ野球ファンとしての僕の心にはずっと陰が付きまとうことになった。山川穂高という選手が、自らの欲望に打ち克つことができなかったことが原因である。

ライオンズファンの中には山川選手のファンだという人も多かっただろう。
年に1回の球場観戦を楽しみにしていた地方のライオンズファンの子供達もいるかもしれない。めったに行くことができない現地で、彼のホームランを見ることを心待ちにしていた少なからぬライオンズファンがいたはずだ。

ましてや彼はFA取得を控えていた。「入団から数年にわたって彼を応援してきた。だから移籍するとしても、最後の1年になるかもしれないからこそ、心からの声援を送りたい」と考えてきたファンもいたはずだ。

彼はそうしたファンの期待を裏切ったのだ。

不調や怪我が原因であるのならば仕方ないと諦めもつく。ただ、彼の場合は違う。「埼玉西武ライオンズの山川穂高選手が」という主語で騒動を何度も何度も報じられ、ライオンズファンが愛するチームのブランドを貶めた。

僕は昨年の4月ごろに山川選手がパッケージにあしらわれたオリオンビールをケースで購入した。愛するチームのスポンサーとなってくれた企業の売上に少しでも貢献したかったからだ。「ライオンズというチームと協力して良かった」と少しでも感じてもらいたかったからだ。しかし、このビールは長い間、冷蔵庫の中で眠り続けることになってしまった。そして、一部は野球に興味のない友人に譲った。

山川選手を応援したいけれど心から声援を送ることを躊躇するようになってしまった人、騒動のせいで応援できなくなってしまった人、スポンサー企業を説得し、タイアップ案件をとってきた人、彼の写真入りのパッケージをデザインした人、売り場を確保してくれた人、騒動を受けて頭を下げた人、悔しい思いをしながら販促品を片付けた人…。

そういう一人一人の複雑な思い、やるせなさ、口惜しさ。

そうしたものに本人やスポーツメディアの人たちは少しでも思いを馳せたのだろうか。そうした人たちの一人にでも直接話を聞いたのだろうか。

むしろ、そうしたことをしてないからこそ「ライオンズに居続けることが、ファンの皆様、球団の皆様に対する感謝の形、謝罪の形、誠意であるということ」を理解していながら、ライバル球団に移籍した上で、「野球をするしかない」「山川選手が許されるためには活躍するしかない」などということが言えるのであろう。

率直に言って「そんなことで許されるわけがない」と思う。

彼が今後活躍することで喜ぶのは誰か?

ホークスファンであろう(ライオンズファンで、今後も彼を応援できるという方を僕は心から尊敬する。だけど、僕は正直そこまで心の広い人間にならなくてよいと思う)。

なぜなら彼らは何も失ってはいない。本来であれば、人的補償で球団生え抜きのローテ二番手左腕を失うはずだったが、それすらも本来のルールから逸脱した方法で回避した。

山川穂高選手が騒動を起こすことで、最も辛い思いをしたであろうライオンズファン、関係者に彼がプロ野球選手として喜びをもたらすことは、もう二度とできない。

スポーツ紙の記者の皆さんには、こんな簡単なことすらわからないのだろうか。極端な例え話になるが、ある店で万引きを犯した人間が、商品を別の店におまけをつけて返したところで、何が許されるというのだろうか。「なんで山川が批判されるのかわからない」などという人は単に想像力が欠如している。安心して欲しい。僕もあなたが「なぜ理解できないのか」がわからない。

「彼が今後、真面目に野球に取り組めば許される」。「ファンあってのプロ野球〟という考えが刷り込まれている」とされる世界の王貞治氏も本気でそう信じているのであろうか。

僕はとてもじゃないが、そんな風には考えられない。今後、山川穂高という選手が、ライオンズファンである僕の心にどうやってプラス感情をもたらすことができるのか、想像もつかない。その方法があるならぜひ教えて欲しい。真摯に野球に取り組むというならば、1年前からやってくれよ、と思う。そうすれば違う未来があったはずだ。

「現役でいられる期間が限られたプロ野球選手にとっての1年は貴重なものだ」というのであれば、その1年を棒に振った原因は彼自身にある。そして、同じ重さでないにしても、ファンにとっての1年だって貴重なものだ。仕事や子育てなど様々な事情で気軽に球場に行くことができる機会が限定されるファンだっているのだ。味気ない日常を一時でも忘れたいと願い、多くのプロ野球選手に遥かに及ばぬ給料の中から、安くないチケット代を払い、スタジアムに行き声援を送っているのだ。

何より、ライオンズの選手たちにとっての1年を山川選手はどのように考えるのだろうか。

彼が2023年シーズンを普通に稼働できていたら、優勝争いに加わり、より濃いシーズンを若手選手は経験できかもしれない。給料が上がる選手も増えたかもしれない。想像したくもないが、仮に2023年が中村剛也や栗山巧のラストシーズンだったとしたら、状況はもっと悲惨だったはずだ。このように同じチームの現役選手たちの「貴重な1年」も彼は台無しにしたのだ。

もちろん、一ファンと記者や関係者では選手に対する感じ方も違うだろう。誰だって知り合いを悪く言われるのは辛いものだ。マイナスな記事を書けば、今後の関係性に影響し、仕事にも差し支えるだろう。

しかし、プロ野球というビジネスを支えているファンの気持ちに、メディア関係者はもう少し高い解像度で思いを馳せてくれても良いのではないだろうか。

それをせずに「ブーイングはダメだ」「結果を出しさえすれば許される」などといった記事を書くことについて、迷いは全くないのだろうか。「球場でブーイングがなかったから『ファンの気持ちは変化している』」などといえるのか。冗談じゃない。態度には出さないだけで、はらわたは煮えくり返っている。

ましてや、メディア関係者が「嫌なら応援しなければいい」などというのは、顧客理解の放棄であり、プロとして失格なのではないだろうか。(あげくXのポストを削除して謝罪もないというのはいかがなものか)

人間の感情は複雑で誰もが完璧な存在ではありえない。僕だってライオンズ入団以来、山川を応援してきた。彼のホームランに胸を躍らせたこともたくさんある。これまでの活躍に感謝もしている。過ちなど犯して欲しくなかった。今に至っても、「人間は誰しもが過ちを犯すし、どこかで許すべきだ」と論理では理解している。

だが、前述したようなささやかな僕の要望にすら彼は応じる気配がない。「去就が決まらずに‥」などという、誰もが額面通りに信じることができないことを理由に、まともにファンに挨拶すらせず、お仕着せの感謝の言葉を述べ、無配慮にどすこいパフォーマンスをする。

そして、それをメディアはほぼ無批判に受け入れる。批判するにしてもせいぜい「ネットの声」を引用しながらだ。王貞治氏に対するネット上の批判には目を向いて反論するにも関わらず、山川選手の言動が、「プロ野球選手としてあるべき姿」からかけ離れたものであることを諌める素振りすら見せない。

本当にそれが正しいと思っているのだろうか。このように考えているのは僕だけなのだろうか。少数派だから無視されて当然なのだろうか。これまで、こうした複雑なファンの思いを伝える記事がほとんどないことを不思議に思う。

選手会のホームページには以下のような記載がある。

日本プロ野球選手会は、会員であるプロ野球選手の地位の向上のための諸活動にとどまらず、むしろプロ野球発展の一翼を担う存在として、プロ野球の未来を考え、将来のプロ野球選手候補である少年たちの憧れの場であり続けるためには何をすべきかを議論し、実現に向けて活動するということを重要視しています。

(中略)

選手会がこのホームページを開設した趣旨は、そのような活動の最も重要な部分として、選手を取り巻くファンのみなさんから、プロ野球の将来に関する意見を伺い、よりよいプロ野球へ向けての活動をしていきたいという点にあります。我々選手会は、選手を取り巻くファンのみなさんの意見を伺いながら、プロ野球の 将来にとっては何が望ましいのか、そのためには、我々選手たちは何をすべきか、ということを考え、行動していきたいのです。

日本プロ野球選手会HP

山川選手のこれまでの言動が「将来のプロ野球選手候補である少年たちの憧れであり続けるために」という文言に照らして適切だったのだろうか。人的補償に代表されるFA制度や現役ドラフトをめぐる議論において「選手を取り巻くファンのみなさんの意見を伺いながら」ということが、本当に行われていたのだろうか。できるのであれば、この疑問を関係者にぶつけてみたい。何が正解だったか、は僕にもわからない。ただ、現状よりも「マシな対応」が存在したであろうことは確信をもっていえる。

繰り返しになるが、僕は山川穂高という選手にまつわる騒動を通じて、本人はもちろんNPB、選手会、そして日刊スポーツの金子記者を除くスポーツマスコミに深く失望した。そして、この失望は簡単に覆せるものではないということを書き残しておく。

なお、当然ことだが、いかなる理由があっても誹謗中傷はしてはならない。

ただ、ここまで僕が記してきたことは、「批判」「論評」の範疇に収まるものだと僕は考えている。それでも、もし山川本人やメディアの皆さんがこの文章を「誹謗中傷」というならば、甘んじて受け入れよう。

僕自身もいつか山川穂高選手を許すことができる日が来ることを祈っている。ただ現時点で、その見通しは全く立っていない。

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