番外編・病院放浪記 その2
2001年12月某日。
肺気胸が完治してから3ヶ月もたたない、この日の朝、ヘッポコ兄が、
「頭がガンガンする」
と言いながら起きて来た。体温38.0度。
私は忙しくて休めないので、仕事に行く。昼休憩で帰宅すると、食欲もなく水分も摂れていない。
(彼は熱が40度あっても食欲だけはある人なのに、ちょっとおかしい)
17時にあがり、タクシーで近所のかかりつけ医院へ連れて行く。
700ccの点滴をしてもらい、タクシーで帰宅。
帰るなり嘔吐。体温は39.0度を越え、頭痛もおさまらない。鎮痛剤はすでに2回も使った。
翌日。
朝から39.0度以上ある。
タクシーでかかりつけ医院へ行き、点滴500cc×2本するが、いっこうに状態が良くならない。
院長のお父様であるベテラン先生が、
「髄膜炎だと思う。怖がらなくていいから、東京医大へ行きなさい。まだ午後の外来に間に合う時間だから」
と、紹介状を書いてくれた。
「救急車で行った方がいいでしょうか」と聞くと、
「そこまで慌てなくてもいいから」とおっしゃる。
頭痛持ちの兄が「頭が痛い」と言い出すたびに心配していた髄膜炎に、本当になってしまったとは。
道理でいつもより、ずっと重篤感があったのよ。
12時半過ぎ。
すべての会社のタクシーが出払っていて、困っていたら院長の奥様(高校の同級生の義姉にあたる方)が、車で自宅まで送ってくれた。
兄は、とにかくつらくて起きていられないと言う。
兄を連れて東京医大へ向かう。
しかし、タクシーがなかなか拾えなかった。もう救急車を呼んじゃおうかと思ったぐらい。兄が道路で倒れそうになった頃、やっとタクシーをGET。
ところが、ところが、やっとのことで乗り込んだタクシーの中で、サイフを忘れたことに気づく。
入院になるからと思って荷物を整理し、大きいカバンに中身を入れ替えたりしていたせいだ。
兄を病院でおろして、ロビーのソファーで寝ているように言って、私だけ同じタクシーで家へ戻る。同じタクシーでまた病院へ。もう気が気じゃない。すっごく焦る。
もう、おわかりのことと思うが、今回、あちこち放浪したのは、この私の方であった。
14時頃、やっと小児科外来へあがり、兄をソファーに寝かせる。
15時。
髄液をとって検査したら、やはり髄膜炎だということで入院が決定。この頃には、心配したジジババも病院に到着していた。
「この時の兄は白眼を剥いて、話しかけても無反応で、もうヤバイかと思った」と、後に母は語った。
私は、入院手続きをし、友人に電話し、ヘッポコ娘に事情を話してくれるように頼み、売店でサンダルや、湯のみ、箸、歯磨きセットなどを購入。
16時。
点滴した兄がベッドに寝かされたまま運び出されて、緊急使用状態のエレベーターで7階の混合病棟へあがる。
14歳、小児科といえども、身体は主治医のS先生よりデカい。小さい子と一緒に、消灯時間も早い小児科病棟に入るよりは、若い男性と同室の方がいいでしょうという先生の配慮である。
その頃、ヘッポコ父も到着。一人の病人に祖父母と両親。デカい図体して、箱入り坊主である。
主治医のS先生は、
「高熱も、頭痛も、吐き気も、髄膜炎の症状。ウィルス性(無菌性)か、細菌性か、はっきりするには2~3日かかるが、細菌性の場合を想定して抗生物質を使う。ウィルス性は治りも早いし予後も良いが、細菌性だと厄介で、長くかかったり後遺症が出たりして、けっこう怖い」
……と説明してくれた。
祖父母と両親、4人でこの説明を聞くが、みんな顔が蒼ざめていた。
兄は、うつろな眼。
熱があいかわらず高いので、プライマリナースのTさんが座薬を入れてくれる。絶対安静なので、トイレも尿瓶使用。思春期の男の子にとって、これは厳しい状況だと思うが、羞恥心も消え失せるほどに兄は体調が悪かったのだ。
私は面会時間ギリギリ20時までいたが、帰宅しても悪いことばかり想像してしまい、それを打ち消すために、一晩中マーフィーの本の中の「病を治す」フレーズを、口の中で唱えていた。神経がすごく高ぶっていた。
結果的に、兄の髄膜炎はさいわい無菌性のものでした。
適切な治療を受けたので、体調はみるみる回復し、翌日には熱も37度台に下がり、食事も水分も摂れるようになっていた。
1週間ほどの入院で、無事に退院できたのだが、その後は、ヘッポコ娘の方の精神状態が少し不安定で、そちらのフォローに気を遣ったりした。
全然、方向音痴の話じゃなくてすみません。
でも、病院に到着するまで、受診するまで、診断がつくまで、ものすご~くウロウロウロウロしたのだよね、私は。
T医院 → 自宅 → 東京医大 → 自宅 → 東京医大
この時の恐怖を思えば、今は健康で、高校に通っていてくれるのだから……。
ちょっとぐらい頭が弱くても、まあいっかって気になってくる。
でも元気なら元気で、人間は成長していかなくちゃならないしね。親の迷いは続くわけだわ。(と強引に迷った形で終了)
入院前後のこと、本人はほとんど記憶がないそうです。
「方向音痴」は実は髄膜炎が原因ではないかという説もあります。(???)
このけっこう虚弱だった息子は実在する。
そしてまもなく伯父になる。
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