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番外編・病院放浪記 その1


2001年9月12日。
NY同時多発テロの翌日のことである。

店の電話が鳴った。私が出る。
「○○書店でございます」
「あの、KENの息子ですが」
「なんだ、どうしたの」
(いかにも息苦しげに)
「左の胸が……すごく痛くて…… 病院に行きたい……」

ヘッポコ兄が店に電話してくるなんて初めてのことだ。
この声の調子。
よっぽど具合が悪いのだろう。
私は、店の電話を使って救急車を呼び、超スピードで家に飛んで帰った。

彼の母(私)も、母の父も、母の母も、母の母の姉妹も、みんな狭心症の持病がある。
母の母の母も、心筋梗塞をやっている。
心臓だったらやばいじゃないか。

20分ほどで到着した救急隊の人たちは、
「若い男の子で、胸の痛みというと心臓病よりも肺気胸の方が考えられる」
と言う。
プロフェッショナルの経験に基づく言葉、さすがですね。

救急車は東京医大へ行く。
ここのエレベーターは、ちょっとやそっとじゃ来ないことで有名だ。
エレベーターを待っている間も、かなり痛そうだ。
2階へ行くのに数分エレベーターを待ち(ヘッポコ兄は車椅子に乗せられていたので)、やっと2階へたどり着いたと思うと外来終了の時間。
1階の救急外来へ戻る。
これまたエレベーターを待つ間、車椅子に乗った彼は、顔をしかめて痛がる。
看護師さんが見かねて「緊急優先」のエレベーターを使ってくれた。

ここまでで、すでにけっこう放浪しているよね。

痛みのせいで血圧は150近くにまで上昇、過呼吸にも陥った。

救急外来で心電図を撮り、胸の写真も撮る。
診てくれた2人の先生の診断は、
「心臓にも肺にも異常は認められない」
というものだった。
「胸の痛みで疑われる2つの大きなものが否定されましたから、心配せずに様子を見るように。肋間神経痛かもしれないし、筋肉痛かもしれない」ということ。

帰りは地下鉄で帰ったが、帰り道でも兄王子は、何度もひどくつらそうに立ち止まっては胸を押さえる。
うーん、なんでもないのに、こんなに痛がるのはなぜだ。

その日は、そのまま何も食べずに爆睡。
翌日、起きた後もまだ痛がる。
継続して痛むのは、肋間神経痛とは少し違うと思った。
肋骨にヒビでも入っているのではなかろうか?
とにかく本人が、痛みのあまりに何もできない。

近所の整形外科に行き、
「心臓も肺も異常はないと言われましたが、いまだに強い胸の痛みを訴えています」
と話す。
整形外科で再び胸の写真を撮った結果……。
N院長がこう言った。

「やはり肺気胸ですよ。ほら、肺の輪郭が線になって見えるでしょう。こんなに肺が縮んでいる。 反対側とくらべるとわかるでしょ?」

シロウトにもわかる……。
左の肺が縮んでいる……。

院長先生は、その場で東京医大の救急外来に電話を入れてくれ、紹介状も書いてくれ、レントゲン写真も貸してくれた。

東京医大の誤診ではなく、診断がつかなかったのだ。
前日の写真と、翌日の写真とを、2枚並べて見せてもらったら、昨日の写真では肺はまだ普通の大きさだったのだ。
1日の間に‪2/3‬ほどに縮んでしまったというわけ。

すぐに救急の処置室で胸に穴を開けられる。
この時の外科の先生の話によると、この処置は大人でも唸るほど痛いのだそうだ。

「肋骨がゴリゴリ音をたてて、すっげー痛かった」(本人談)

肺に穴を開け、ドレーンを入れ、胸腔内にたまった空気を排出させる。
肺に開いた穴が自然に閉じるまで、管は入れっぱなしにしておく。
管が入ってからは胸の痛みは消えたのだが今度は胸に開けた穴が痛むのだそうだ。

お気の毒だったけれど、肺気胸というのは若くていい男がかかる病気だそうだから、その点はちょっと本人満足している?

この時の放浪具合はこんな感じ。

東京医大小児科外来 → 東京医大救急外来 → N整形外科 → 東京医大救急外来 → 東京医大外科

息もできないほどの痛みを抱えて、いっぱい放浪しました。

この時のことを思い出すと、2001年の時点での憎たらしさ思春期特有の難しさも忘れ、無事でよかったと思います。

(しかし思いがけず病院放浪は続く……)

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