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アメミヤ的*宿曜と相性のリアル

こんにちは、アメミヤエルナです。
今回は宿曜占星術のおはなし。
宿曜は私が占いをもっと深く探究したいと思うようになったきっかけの占術で、思い入れが特別強いものです。
とはいえ先生方に師事しているわけではなく、独学で知識を得ています。
今回記すのは、様々な書籍やサイト様、そして人との出会いに触れてきた中で、私自身が感じた宿曜と相性のリアル(実際どうなの?)の備忘録になります。
あまりかしこまった文章ではありません。1杯のコーヒー感覚でお楽しみいただければ幸いです。

※投げ銭方式は終了いたしました。いただいた収益はさらなる学びに活用させていただきます。当記事へのご支援ありがとうございました!

そもそも宿曜占星術とは

空海らが日本にもたらしたとされる密教の一部。
インド占星術と深い関わりがあります。(イコールではありません。)
生年月日によって二十七の(星)宿に分かれ、それぞれのあいだに命・業・胎・安壊・栄親・友衰・危成と呼ばれる関係性があります。
二十七宿は西洋占星術における月星座と大雑把に対応しています。例えば宿曜占星術では獅子宮に属する張宿の人が、西洋占星術では月獅子座であると言った具合にです。(※二十七宿の算出は旧暦に基づいており、1〜2星座程度のズレが生じる場合があります)
詳しくは次の章で書きますが、宿曜占星術は特に、相性占いにおいて驚くほどの的中率を示すとされています。

宿曜と相性のリアル

宿曜占星術について学びを進める中で必ずと言っていいほど目にする文言が、「宿曜は相性占いにおいて絶大な効果を発揮する」というものです。
二十七宿どうしの関係性は、その位置関係で決まります。西洋占星術でいうところのアスペクトと似ていますね。
命・業・胎・安壊・栄親・友衰・危成、これらが相性の大雑把なカタチを表します。加えて遠・中・近の距離をプラスして、ご縁がどれだけ強い(引き寄せられやすい)かを見ます。(ただし命業胎は合わせて1セット、距離の概念はありません。)

さて、教科書的な説明はここまで。
それぞれの関係がどんな感じかは、いまや多くのサイト様や書籍で知ることができます。
ここからは、私がさまざまな出会いを経て/また人からお話を聞いて感じた、アメミヤ的・宿曜と相性のリアルについて記していきたいと思います。

スピリチュアルな命業胎

ここぞというときに出会うことが多いです。
教科書的には「人生のターニングポイントで出会い、また別れる運命」と書かれていますが、長くお付き合いさせて頂いている方もそこそこいます。
お互いの魂の目的を達するまではそばにいられる関係性といえるでしょう。

普段は性格・ライフスタイルともに異なっているように見えても、根っこの感覚や感性が一致しているというパターンが多いです。
人間関係は「似ている部分に共感する」か「異なる部分に惹かれる」かだと考えていますが(※持論)、命業胎に関しては完全に前者かなぁと。

業胎は、業の人に尽くしてもらい/胎の人に尽くしてあげるという関係性だそうですが、意識してそうするというよりは「いつのまにかそうなっていた」というのが近いように思えます。
心が弱っているとき支えになってくれることが多いです。クッションのような居心地の良さは栄親に通じるものがありそう。でも業胎のほうが別れ際はさっと離れる感じ。後腐れなく。

命は、宿によって仲良しになるか同族嫌悪に至るかがかなりハッキリ分かれるようです。
良いところも悪いところも一緒だからです。
性格的にものすごく似ているかというと、そうでもないのですが、何となく相手の考えていることが読める感覚がありますね。
同じ運命に差し掛かったら、きっと相手も自分と同じ選択をするのだろうと確信に近い形で思います。
スピリチュアルな命業胎の中でも、特にシンパシーとか目に見えない何かを感じます。
それ故に、くっつきすぎると胃もたれしてしまう感じもあります。
見えすぎてしまうんです、お互いのことが。でもどんなに立派な鏡でも、永遠に見つめていることはできない。

ココロ揺さぶられる安壊

ビビッときた関係性がコレだった、ということが多いです。
安壊は全く異質なものとする考え方もありますが…私は時々、お互いの間にびっくりするくらい似ているものを感じることがあります。
命業胎や栄親のように根本的に似ているというよりは、ある1つの歯車どうしがガッチリと噛み合って離れない、という感じ。
ギャップ萌えという言葉がありますが、まさにそういうイメージ。意外性に人は弱いのです。

ガッチリ噛み合う部分があるのと同じくらいに、全然理解できない!という部分もあります。
他の関係性だとそれはそれ、で納得できるところも、安壊ではアレルギーのように拒否反応を示すところがあるように感じますね。
どうしてそうなるの?信じられない!みたいな。
壊相手で特に覚える感覚かもしれません。

安壊って読んで字の如く、安側と壊側の温度差がものすごいのです。
自分にとって安の相手は、とても付き合いやすい。相手は自分を慕ってくれるし、多少こちらの都合で振り回してしまっても許されるような感じがある。だからついつい寄りかかってしまう…でも気をつけたいのは、それが「当たり前」ではないということです。
相手の好意に甘えていると手痛いしっぺ返しがくるというのは安壊界隈では有名なお話。適当に扱えばそれが伝わってしまうし、相手はこちらの想像以上に傷ついて、静かな反撃が始まるのです。

自分にとって壊の相手はこの反対で、ものすごく憧れる/共感できる1ピースを縋るように求めて、追いかけて、いつの間にか自分のMP(魂)を擦り減らしているような感じです。
好意であるとは限りません。アイツ大ッ嫌い!という激しい嫌悪の感情で表れる場合もあります。
いずれにせよ、意識せずにはいられないのですね。
そんな強い本能の部分を認めてあげることができれば、壊の相手でも穏便に付き合うことができるはず。
というより…トラブルは恐れない方がいいかもしれません。エネルギーの発散だいじ。

因みに。私は安壊の関係について、身内から仲の良い友人まで至るところにご縁があります。
幸運なことに、いまはほとんどの方と良い関係を築くことができています。
確かにトラブルも結構あるのですが、魂のぶつかり合いのようなこの関係が心地良いと感じる瞬間もあり。気をつけつつも、付き合い方次第できっと素敵なご縁となるのだと思うこの頃です。

会ったときからマブダチ、栄親

初めて会うような気がしない、不思議と馴染みがいい関係性です。個人的には業胎の感覚とちょっと似ているなと思います。
ただ業胎が比較的知り合って仲良くなるまでが早いのに対して、栄親はじわじわ距離を詰めていくような感覚があります。(これは宿同士の距離にも左右されます。隣星[近距離]だとやはり早いです)
7年の交際と3年の同棲期間を経てようやくゴールイン、みたいな。
さらにその間に、他のエキサイティングな関係性(安壊・危成・命など)が入ると、目移りしてまたゴールまで遠のいてしまう、みたいな。

栄親は他と比べても一番良い理想的な関係だ、と様々なところで断言されています。私自身もこれまでの出会いから感じるところではありますが…
先述したような経緯から、関係を続けるにはなかなか障壁も多いような気がします。
栄親の関係を阻み得るのは以下の二つ。
・時間
・第三者

付き合っていく長い時間はマンネリを生み、刺激的な他者が関係を引き裂く。(そんなつもりはなくとも)
こんなことが、他の関係性より起こりやすいように見えるのです。
これも私の経験ですが、2人きりの時間を多く持てる栄親さんの方が仲良し状態が長続きしているように感じます。
そのために他者を排除しろということではないです。あくまで自然に、お互いを尊重しつつ、だけど一緒にいられる関係性。

あと、栄親は相手への接し方の最適解がわかりやすい分、トラブルが起きにくいのが魅力です。
ただしこれは裏返せば、モヤモヤを抱えていても相手にぶつけにくいということ。
何か釈然としないまま、関係が自然消滅…というパターンも多いと、個人的には感じるところです。
それを避けるためにも、定期的にお互いが何を考えているのかちゃんと言葉にして伝えたり、耳を傾けたりしてみたいところです。

(※こちらの項では栄側/親側で分けて記述はしていません。双方ともにメリットがある関係で、意識に大きな差はないように感じられるためです。少々思うところもあるのですが、もう少し検討してから別の形で記したいと思います。)

ちょっとほっとけない友衰

つい世話を焼いてしまうなと思ったら自分にとって相手が衰の関係性だったり、よく構ってくれるなと思ったら自分にとって相手が友の関係性だったり。
こういうことが往々にして起こる関係です。
安壊の次くらいに、運気的にアンバランスな関係。
なのでこちらも詳細は別々に記すことにします。

友衰の関係全体としては、どちら側でも、付き合っていて自分にものすごく得があるわけではないのだけど、精神的には満足します。関係をもつこと自体に意味があるような感じ。
宿にもよるかと思いますが、自分と異なる面に魅力を感じやすいようにも見えますね。一緒のところを見つめ過ぎると病んでしまうかも。
関係の安定性は…やや不安定。ずっとそばにいるときと、すごい離れている時の差が激しい。
とはいえ手痛すぎる別れ方はしない印象もあります。
別れは悲しいけど仕方ないと前を向く。

自分から見て友の相手は付き合いやすいです。文字どおり気の置けない友人という感じ。安の相手とも似ていて、相手の好意をわかった上で関係をスタートさせるイメージかな。でも思い通りにコントロールはできないです。しようとすれば良心が痛むはず。
結構学ぶことも多い相手で、損得抜きに相手を尊敬する姿勢を持てば、いつか関わりがなくなっても心の中に糧として残るでしょう。
ただし意識的に行わなければ、なあなあの関係で終わってしまいがちでもあります。注意です。

自分から見て衰の相手は何だか気になります。得はなくとも自然にサポートしたくなる。惹かれることもありますが、いらいらの感情から手出しすることもあります。いずれにせよちょっと構いたくなるような感じが生まれるのです。
しかし尽くし過ぎると害になる、というのが衰の相手。
時には何もせずに見守るのも優しさであり、愛であり、自分を成長させるのだということを意識しておきたいところです。
現実的なギブアンドテイクより、心の繋がりを重視して関係を築くのが理想的。

友衰に関しては各参考書に記されている内容がかなり当たっているように感じます。
片思いしている相手を見ると衰の相手だった、などもよくあることで。
片思いでなくとも私自身、その方を追ってポジションを転々とするようなことを経験したことがあります。
その行動が当時の私にはカリスマ的で格好良く映ったのです。振り返ってみると、宿曜占星術すごいのかも、と思わされた瞬間でした。

ライトに楽しい危成

もっともライトで刺激的な関係性。というふうに私は感じています。これも自分が危の側か成の側かで印象は多少異なりますが……どちらにせよ、あまり重たくならずに楽しくコミュニケーションを取れる関係というイメージ。
ただし関係が成熟するまでに紆余曲折はかなりあります。ケンカしやすいランキングでは安壊と1位2位を争いそう。似ているかも?と思って互いに近づいても、やがて違う感性を持っていることを知り、それを受け入れることで落ち着いていくように感じられます。
しっとりしたお悩み相談の相手としては機能しないかもしれません。というより、この相手とはどうにもそういった雰囲気になりにくいように感じます。照れが生じるというか…。現実逃避がてら、軽いノリで遊園地に繰り出すといった状況では最適な相手です。

自分から見て危の相手は、文字どおり危うく見えます。またはこちらが身の危険を感じるか。選択肢がふたつあったとして、危の人が取る選択はいつも自分と逆…といった具合。それにいらいらしてしまったり、反対に怖くなってしまったりするのですね。でも、そこを乗り越えれば楽しい関係。主観ですが、危成の関係は成側(相手が危の時の自分)がどれほど相手を受け容れられるかで決まるような感覚があります。受け容れがたくとも、個性として認められればOK。こうして初めて、危側も安心して成側とお付き合いができる。
とはいえ、ガマンしてまで相手に合わせる必要はもちろんないです。仲のいい危成は、普段からお互い自分の陣地で好き勝手やっているイメージです。

自分から見て成の相手は付き合いやすいです。あれ、これ友の相手の項でも書きましたね。でも友と違うのは、もっとビジネスライク的で、さっぱりとした関係性ということです。もちろん愛がないわけではないのですが、どこか他人は他人と割り切って付き合えるような。
西洋占星術的例えだと、友衰が水なら、危成は風といった感じ。
この関係性面白いのは、危側(相手が成の時の自分)は相手と対等に付き合っているような感覚でも、実際は相手のほうが配慮してくれている部分が多いということです。
私の例になりますが、長年付き合っている友人が私から見て成で、昔はあまり深く考えず彼女のテリトリーに土足で踏み込んで嫌な顔をさせたこともありました。今はこちらも意識的に配慮するようになり、気遣いに感謝しつつ関係を築いています。
成の相手はこちら側の欠点も含めて受け容れてくれる存在。だからこそ適度な距離感を保ちつつ、思いやりを忘れずに関係を築いていきたいところです。

浮き沈みの激しいジェットコースターのような危成。そんな状況すら恐れず、楽しむ心の余裕をもてればきっと素敵な関係に。

宿曜と距離のリアル

前項ではそれぞれの関係性について考察してきましたが、まだ触れていないことがひとつ。
近距離・中距離・遠距離 の概念です。
宿曜の関係性には命業胎を除いてすべて距離の概念があります。
ざっくり、宿同士の距離が近いほど出会いやすく、遠いほど出会いにくいと言われていたりします。
詳しくは各参考書・サイト様をご参照ください。
こちらも経験をもとにした考察となりますが、次の項からひとつずつ見ていきたいと思います。

情熱と摩擦の近距離

会ってすぐ仲良くなった!と思ったら近距離の関係だった、というのは往々にしてあるお話のようです。でも何かあったら別れるのも早く、そして摩擦もかなりの確率で起こりやすい印象があります。
全関係中一番安泰だと言われている栄親でも、近距離では互いの欠点も間近で凝視することとなり、耐えられず離れてしまう現象があるように見受けられます。
それぞれの関係の良いところも悪いところも、この相手を通して洪水のように浴びるイメージですね。
とはいえ怖がるものでもなく、距離の近さが苦にならなければ、二人三脚のように一緒に歩んでいけるような理想的な二人でもあります。

それぞれの関係性におけるメリットとデメリットを簡単にまとめてみたいと思います。

安壊近距離……盛り上がりと喧嘩っ早さ
栄親近距離……親密さと遠慮の欠如
友衰近距離……ピュアさと馴れ合い
危成近距離……ノリの良さとスタンスの違い

つかず離れずの中距離

中距離はまさにつかず離れず、ほどよい距離感が継続していくため、近距離ほど強く意識することは少ないかもしれません。「わりと話すクラスメイト」くらいの印象。適切な距離さえ見極められれば、他の関係性より扱いやすいと言える気がします。
安壊の中距離は上司と部下の関係だったらうまくいくという記述をよく見かけますが、友人関係でも疑似的にそういった役割分担をすることで、やはり問題は少なくなりそうです。壊側(相手が安の時の自分)が安側を導いてあげる、といったような。

それぞれの関係のメリット・デメリットは、近距離と大きな違いはないように思われるため割愛します。強いて言えば中距離の方が摩擦が少なく良いところが出やすいように感じられますが、引き合う力も弱まりそうです。パズルのピースのようにカチッとはまれば、かなり息は長いと思います。何せ、程よい距離感なのです。

不思議につながる遠距離

遠距離はとにかくお互いの宿までが遠く、間に色んな関係が挟まるので、縁が生じにくいとされています。(関係にもよりますが)
本当なのでしょうか?
一度、自分がこれまで出会ってきた(生年月日を知ることのできた)知り合いを、覚えている限りで一覧表にしてみたことがあります。
そこでは意外なことに、遠距離がかなりの割合を占めていたのでした。
記憶をデータ化して全体を見ることができたなら、また違った結果が導き出されるのでしょうが…印象に残りやすいという点は念頭においておきたいと思います。
「やっと出会った」その奇縁は、個人の意識に影響を及ぼすものなのかもしれません。

それはそうとして、遠距離の関係は第三者が介入することで薄まりやすい感じがあります。
安壊などは切っても切れない引力を持ち合わせますが、栄親ではただでさえマンネリ化しやすい関係のために他に作用の強い関係性の人が現れれば自然消滅してしまいがちです。

それぞれの関係のメリット・デメリットについては近距離・中距離とさほど変わりはない一方、作用を意識しにくいかもしれません。良い点も悪い点も、目をよく凝らすことで見えてくる・深まっていく関係です。

おわりに

アメミヤ的宿曜と相性のリアル、今回は以上となります。正直まだ書ききれていない部分もあるのですが…それはまたいずれ。

宿曜占星術は生年月日で相性が占えるという非常に手軽で魅力的な占術です。
一方で、性格・相性ともに記述は手厳しいものも多く、その断定的な物言いに驚いてしまう場面もあるかもしれません。
しかしどんな関係も、意識次第でいかようにも素晴らしいものに変えていくことができます。
この点は他の占術と同じだと思います。

数ある解釈を参考にしつつ、これからも経験と観察を通して、リアルにもとづいた宿曜占星術の用い方を考えていくことでますます理解を深めてゆければと。いずれ性格や運気についても記事化したい。

さてさて、長くなってしまいました。
今回もご覧いただき本当にありがとうございました。
またいずれ、お会いできることを祈って!

ご覧いただきありがとうございます。いただいたサポートは、星の世界の探究・皆さまへの還元のために大切に用いさせていただきます。