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【雑感日記】 「おかしな日本語」(17)

 今日はここ数年でかなり耳にするようになった形容詞的表現を紹介します。まずは例文から。

 役所の対応。
 あいつの手際よさはだろう。
 
 もう一回改めて考えてもらいたいのは「神」の多用によるその価値の低下です。人それぞれの意識にもよるでしょうが、「神」というものは「もうこれ以上はない絶対的な存在」なのです。大したこともないがちょっとすごいと感じたことにすぐ「神」を用いるのは神様の乱用でしかありません。

 かつては口にするのも憚られるほど「神」という言葉は神聖な存在で、今でもその本質は変わらないはずです。ところが最近は何にでも「神」を用いてしまうように思えます。その節操のなさに呆れるのとそれでは今後それではそれを越えるような表現をなんという言葉を以てすればいいのかが心配。適切な言葉が適切な場の表現でなくなっているような気がしてなりません。もちろん自分は絶対に使わいません。神様を易々と口にするのはボキャ貧であることの顕れでもあります。

天照大神

 さらに上の二つの例文はこれまでにはない用いられ方をしています。それは本来では名詞でしかない「神」という表現を上の文章では形容詞的に用いています。もう一度言うと「神」は名詞です。英語だとさらに定冠詞(the)が必ず付くくらいの扱いでもあります。

 下の例文の場合はさらに形容動詞として用いられています。ここまでくるともう新しい用法であるとしか言えません。もう一度最初に戻ると「神」はそもそもは絶対至上の存在であり、それはどの宗教でも同じ事です。そんな存在を易々と人の行いや状況を説明する言葉として使うのは畏れ多いことでもあります。

 英語でも日本語でもこれらの言葉は平時には口にしないように心がける習慣がありました。おそらく日本以外では今でもそういった考えが強い場所もあるかと思われます。ここに日本人独特の宗教観や神に対する考えが現れてくるのでしょう。なので「神」を軽々しくも口にして抵抗も感じないのはそういった文化的側面もあるのだと思います。

神様

 ただしそれだけで「神の乱用」は収まりません。要は他に表現する言葉が思いつかないという、元からのボキャ貧現象が最終的には一番上の言葉をこんな場面にまで下ろして用いるという言語の退化の顕れだと考えられます。

 上の例文をどうしても「神」という言葉を用いて表現したい場合には

役所の神がかりな対応、
あいつの手際よさは神様のようだろう。

 と、せめて「神」という言葉を直接用いず、神を使った他の表現に直して用いるべきです。それができないのは国語力が衰え語変化の乏しさ現れていることでもあります。ですので本来ならば、

役所のこの上ない対応。
あいつの手際よさは人間離れしている。

 等というように、神という言葉そのものも使わない方が本来であれば理想的かも知れませんが。それではどのくらいの対応、手際よさなのか伝えきれない可能性もあります。

 直に使ってよい言葉と使うのには抵抗のある言葉、これらの使い分けくらいはすべきだと思います。まずは2点、これまで名詞として用いられなかった言葉を形容詞や形容動詞のように用いていないか、もう一つは皆さんにとって神とはそもそも何なのか自分でもチェックした方がいいでしょう■


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