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【雑感日記】 「慣れ親しんだ言葉が棄てられる時」

 今現在世界的なパンデミックになっている疾病はすでに誰もが知っているものである。その病気を日本では「新型コロナウィルス」と呼ぶ。ウィルスの一種で昔から存在し、その中の新型の一つが今人類に恐怖を及ぼしているのだ。

 そのウイルスの名前はもともと見た目からそう呼ばれていた。これまではごく一部の地域でしか騒がれなかったものが、今回は地球規模のパンデミックに至っている。これを中国では「新型冠状病毒」と呼ぶ。漢字で生活し、漢字の感覚を持ち合わせる日本人にとっては何の事かある程度想像もつく。中国語でも形から来ている。しかし中国ではコロナだけだと「電暈」と書く。つまり形状と現象が日本語の場合は同じ言葉を使うのに対し中国では使い分けている。英語圏ではこのウィルスの事を"COVID-19"と呼び、コロナという言葉は用いていない。しかし実は発音こそ変われどもともとは”CO”rona “VI”rus “D”esease “19”(2019年に登場したコロナウィルス)という意味である。とは言っても恐らく日本語のようにコロナと言ってみても通じにくいのではないだろうか。

 つまり一部の言語ではこの新型感染症とコロナという言葉を別にしているのだ。ところが日本語ではそういう用い方はしなかった。それによってこんな弊害が及んでいる。

 もともと「コロナ」という言葉はその形状や現象からよく用いられるものだった。しかも商品や企業名にもなっている。例えば企業名で言えば大手暖房器具メーカーのコロナ、総合エンタテイメント施設のコロナワールドなど、これまで慣れ親しまれた言葉でもある。商品名だとかつては車の名前にもなっていて当時は国民の憧れの存在でもあった。メキシコ産のビールの名前でもある。その他にも探せば色々あるのではないだろうか。これらのものがパンデミック後にどういった影響を受けたかは想像に容易いのではないかと思う。

 例えばメーカーのコロナは社員の家族向けに社名についてこれからあれこれ言われるだろうがそこは堪えてくれとメッセージを送ったらしい。おまえの父ちゃんコロナとバカにされた子どももいたようで、子どもにも親の会社の名前でバカにされても気にしないで頑張って欲しいというメッセージを出したとか出さないとか、そんな噂を聞いている。どちらにしてもこれまで何の落ち度もない一般の企業、それも日本を代表するメーカーがそんな名前ごときで誹りを受けるのも理不尽な話。何も恥ずかしい行いはしていないのに非難を受ける。それはあまりにも理不尽だ。ちょっと考えればわかるだろう。コロナシアターにしても然りだ。これまで娯楽産業として数多くの場を提供してくれた施設だ。

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 ところが現実は厳しい。名前がコロナだということだけで苦情の電話が一日に何件もやって来る。名前を変えろだの、この病気をなんとかしろ等という筋違いなことまで言われる。謂れなき罪で叩かれているのだ。コロナシアターに関してはさらに「感染する」だとか何の根拠もないデマが流され、地域から出て行けと罵られる始末だ。冷静に考えてみてそんなことはあり得ないだろう。それを真顔で口にする輩こそ「バカ」と呼んでやりたいくらいに愚かしい。

 さらにビールのメーカーにいたってはあれだけビールが有名になり、全世界的に売れてそれによってメキシコのイメージというものも向上したのにもかかわらず「社名を変えろ」「販売中止しろ」と当のメキシコ政府から命令が下ったという話を聞いている。その顛末までは知らないのだが、幸い今でも売られているところを見ると流通はしているようである。ただし今の日本ではそれをお店で飲むことは困難なのだが。このビールに到っては20年以上も前に酒を一切絶った僕でさえも美味しいビールのイメージが先行する。決していつもとは言えないがたまにはちょっと贅沢してコロナを飲もうと思うこともあったし、柑橘の類いが嫌いな僕でもあのビールの飲み方は受け入れられた。

 だからコロナと聞くと美味しかった、楽しかった思い出が今でも先に出てくる。そして暖房器具メーカーを思い出すときだってかつてのイメージキャラクターだった田中邦衛を思い出す。秋も深まると新しいCMがオンエアされ、ああ今年も邦衛が出てきちゃったと冬を感じたものだ。同じように北海道では今はわからないがウルトラマンがイメージキャラクターだった。8月15日以降に冬商品が解禁になり北海道ではウルトラマンとスタッドレスタイヤとサンパレスの秋のCMがいっぺんにやってくる。

 ところが今ではどうだろう。今でも北海道では変わらずコロナは自社の製品と会社の名前を堂々と名乗れているだろうか、願わくばそうであって欲しい。しかしそれを聞いて顔をしかめる人は絶対にいるはずだ。コロナビールはちゃんと今でも売れているのだろうか。そしてコロナシアターは今でも映画を上映できているのだろうか、確かコロナシアターはバスでの送迎サービスもしていたと思う、

 こういう感じで誰のせいでもないのに呼び方一つ気を遣わなかったおかげでで多くの事が変わってしまったように思える。英語圏や中国語圏の話は詳しくは知らないが、病名が一般的な言葉となってしまった弊害があったのだろうか。どうして日本ではCOVID-19と呼べなかったのだろうかとふと思うのだ。これまで親しんで使ってきた言葉がある日突然汚されて掌を返したように非難を受け棄てられていく。そんなことがあっていいのだろうか。こればかりは病気そのものが恨めしいとしか言えないが、その病気の呼び方どうにかならなかったか今更ながら思う。このような現象を「言葉のレイプ」と詩の世界では呼ぶのだが、まさに今そういう言葉が増えている。そしてこれまで何も思っていなかった馴染みの言葉がある日突然口にするのも憚られるような言葉へと変えられてしまった事は幾度かある。

 僕の知っている限りでは日本語の他にこの感染症のことをコロナと呼んでいるのは韓国で、後のことは全然知らない。韓国では「コロナ19」と呼んでいる。たまに音楽目当てで韓国のCBSを聴くが、韓国語はわからなくともこの言葉はわかるくらい頻繁に用いられている。と言うことは恐らく韓国でも日本と同じような現象が起こっているのではなかろうかと心配になる。大手メーカーの名前にまでなっているかどうかはわからないが、少なくともあのビールの売り上げは下がったかな。それとも最初から韓国にはあのビールは出回っていないのかも。(韓国ではOBビールの「カス」とハイトの「ハイト」の二大ブランドが圧倒的なシェアを誇ってきたが、最近はロッテもその中に入り込んでいる。一部の日本ビールファンのおかげで日本のビールも飲まれるようになったが、例の不買運動で全く入手困難になってしまったと聞いている)

 こんな「コロナ」という言葉の変遷だけを考えても僕は個人的にはこれまで慣れ親しまれた言葉が人を恐怖や不安に陥れる言葉へと変えられた事実とその過程があまりに稚拙だと感じて未だに新しい感染症のことをそのままコロナと呼ぶことにかなりの抵抗を感じている。自分の場合は「新しい感染症」だとか「COVID-19」とできるだけ呼ぶことにしている。今となってはもう手遅れだが、日本でもなにか適当な呼び名はなかったものかなと思う。それこそ「寿限無」みたいな長い名前にすればだれも口にするのが面倒臭くて話題にはしなくなるだろうし、しなければいけないときは「病気」でも「COVID-19」でも他の呼び方いくらでもあったような気がする。ただしどこかの政治家が故意にその呼び方に「中国」だとか「武漢」なんて言葉を入れるのもあまりに無粋でこれにはより一層抵抗を感じる。

 病気のように長い間忌み嫌われ恐れられるけど話題から遠ざけることもできないものというのは大抵その呼び名も短い。病気だけを例に挙げれば「ペスト」「コレラ」「ジフテリア」「マラリア」など比較的短い。そしてそれ以外の意味合いを持たない言葉が多い。生活には入り込めない言葉になっている。例えば「チフス」だってその病気の意味合いしか持たない。スーパーで「イタリア産チフスハム大特価」なんて絶対に言わない。ユーチューバーが赤痢という言葉でネタなど作らない。コロナだって最初から別の意味があったのだからそのくらいの言葉への気遣いもあっても良かったのにと思うのだ。それでふとエボラ出血熱が流行していた頃、ポルトガルにあるエボラという城塞都市がイメージダウンになったことを思い出した。しかし今回のコロナはそんなレベルではないだろう。今となっては手遅れだけど、せめて自分だけでもこれまで慣れ親しんでいた「コロナ」という言葉を汚さぬように心がけたい■

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