気づかない人にやる情けはない

4月も、5月も、6月も、
わっこさんは宿泊を伴う予定を立てている。

趣味があったり実家と仲が良かったりすることは、認められこそすれ否定等されるべきことがらではない。
わかってる。私も、口出すつもりはない。
好きにやればいい。お金とか体力とか時間とか、無理ない範囲でやってるだろうから。

ただ。

家を空けすぎではないか、とも思うんだよね。
4月:連続5日
5月:連続5日
6月:連続3日


普通か? 私の心が狭いのか?

「私の心が狭い」と仮定して。


私だって一応「自立している」と思う。
洗濯機の使い方知らない、(身体機能的に)料理作れない、(身体機能的に)干せない等はあるけど。

毎日入浴できるわけではないから、あまり洗濯もの出ないし。洗濯はヘルパーさんとやれるし。
外食すれば良いし。てか最近食べないし。

生存はできるよ。5日も飯抜けないから、残念ながら死なない。

いると不都合なこともあったりするから、家を空けてくれてラッキー! と思わないこともない。

が。
家を空けすぎではないか? とも思う。


エリーさんは危ういよ。いつ死ぬかわからない。
よっぽど死なないけど、わからないじゃん。
救急車呼びたいわけじゃないからさ

首は保護室に行けるかな?

密かな期待。

入院にはならない気がする。まだ足りないと思う。
今はまだやらないけど。

宅配弁当を頼むためには、冷凍庫(冷蔵庫)を空けないといけない
「空けて」と頼むほど、私が生きることに価値はあるのか? いやない。
だってそこで「疲れたのに言わないでよ」みたいな反応きたら、やじゃん。
そしたらもう頼めなくなるじゃん。遠慮しがちだから。
日を改めて「空けて」って頼むけどさ、心にわだかまりができるじゃん?
「ASDは記憶力いい」らしいからさ、わだかまりを忘れていけないのよ。


つらいね。

なによりも
「悪い人ではないんだよ」と評せざるをえないところが。
そういう表現は、好いてないときに用いられやすいから。
好きなんだって、信じたいんだよ。

好きなんだよ。疾患のせいで見えにくいだけで。


でも別居しようかなと考えるときもある…

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