2023.05.03なーさんとお電話

なーさんとお電話しました。
卒業式以来のなーさん(一月半ぶり)!
遠く遠く離れていても、大好きだなあって思ったよ

何話したかはあんまり覚えてないけど…

結婚指輪を見に行った話」はした。(たぶん)
8月に引越す、って話(どこに住むか、都道府県単位で考えきれてないってことも話した気がする?)
うつ病が部分寛解と言われた話をした。と思う。


「主治医に部分寛解と言われたけど嬉しいと思えない話」をした。なーさんにしたのか、違う子にしたのか、ちょっと自信ないけど。

LINE会話が続いてるみゆきちゃんとの話の流れで「まだ自転車の補助輪を外すタイミングではない」と言ったら「その返し好き」と言われた。

自転車の補助輪を外すタイミングは見定めが難しい。外そうと画策する側は「自転車に乗れる」から『なんとなく』わかる。
診察の頻度を減らすタイミングも、きっと正解はなくて。医師の、今までのいろんなデータや経験に基づく『なんとなく』だと思う。

医師は、必ずしもうつ病経験者ではないと思う。経験してたらどうなんだ、ってところもあるけど。
経験してたら「もう少し寄り添う姿勢をとることができる」のではなかろうか。

きっと、私は主治医に寄り添ってほしい。
寄り添ってない、わけではないけど、もう少し寄り添ってほしいと思う。これが「行き過ぎた願い」でないことを願うよ。

私にはたぶん「他者から優しさを引き出す」才能があって、でもそれは主治医には通用しないから、だから余計に「寄り添いが足りない」と、私は思ってしまうのだろう。


人に甘えず、自立して生きていきたい。
この思いは本物なのに。
甘えられるなら甘えたい。そのほうが「楽」だから。

私はひとりでは生きていけない。
身体障害、肢体不自由という点で、ヘルパーを必要とする。
精神障害、高次脳機能障害、また発達障害傾向という点で助力を必要とすることが多少なりと「ある」のだろう。ヘルパーではなく知人友人くらいの立ち位置で。
ここまできたら、精神障害のうつ病があろうとなかろうと、どちらでもいい。

「疾患」とは病気などのこと。
「障害」とは疾患による「生きづらさ」を指す。
…と、チャーさんは教えてくれた。私の理解が正しければ、だけど。


私の「うつ病」は精神疾患か?精神障害か?

「うつ病」がない自分、とは比べられないので明言はできない、でもこういうのは主観でいいはず。

私は、私のうつ病は「精神障害」だと思う。
生きづらい。肢体不自由や高次脳機能障害とはまた違う「生きづらさ」がある。
(発達障害傾向「ではない」自分がわからないので、発達障害傾向は除く)

肢体不自由や高次脳機能障害は2013年からだから、第二の人生として「いい加減慣れた(諦めもついた)」が、
うつ病の場合は「ゆっくりじわじわと進行していく」から、気づかなかった。気づきたくなかったのかもしれない。気づかないようにしていた、目を背けていた、自分はこのくらいしんどいのがお似合いって思いたかったのかもしれない。

自分はしんどくてあたりまえ。むしろもっとしんどくなるべき。うつ病が良くなっていっていることが許せない。私は「良く」なってはいけない。もっと苦しまなきゃいけない


…はあ。もうやだよ。
私がいちばん橘エリーの心身の不調を希っている。

私は、良くならなくて、いい。
私は、良くなっては、いけない。

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