橘エリーの「役割」とは

私は中途の身体障害者(肢体不自由)だ。普段は電動車椅子で行動している。高次脳機能障、と診断されたこともある。
それと、発達障害傾向(濃いめのグレー)
現在は「部分寛解」と言われているうつ病もある。


私の通院先

3か所あります。
どこもすべて、入院したことがある(リハセンは正しくは「入所」)

⒈南病院(精神科)

私が大好きな病院。お茶が美味しいところ。
医師、臨床心理士、看護師、医療事務、精神保健福祉士、みんなお優しい。
入院するときの細々とした必要物品を「ケア・サポートセット(CSセット)」として一括で契約させてくれる。歯ブラシ、コップ等の配布はもちろん、セットによってはポロシャツとかも貸してくださる。
任意入院以外もあるから、ってことだよね。
精神科の病床しかないもんね。


入院したときの方々が仲良くしてくださった。温泉に行きたい話とか、北海道の思い出話とか、テレビを見たり、トランプをしたり。


個別計画会議、いろんな方が「私のこと」だけを考えてくれた。嬉しかった。


入院する前の診察も、退院した後の診察も、入院中の診察も、主治医は態度を変えなかった。いつも私を尊重してくださっている。

南病院が大好き。閉鎖病棟しかないけど、いいところだ。お茶美味しいし。
2つめの南病院が好きすぎて、引越したくないもん。今がずっと続いてほしいな…


⒉Y病院(脳神経外科)

私がリハビリ病院と称している(称したい)ところ。回復期の入院リハビリ、維持期リハビリや通院先として今もなお繋がってます。
2013年からの間柄で、主治医も職員Tさんも「エリーちゃん」と呼んでくださる。
…そろそろ年齢的に恥ずかしいね///

通院リハビリのついでに、耳鼻咽喉科や婦人科にかかることもありましたね。しばしば軽率にMRIやCTをお願いした。


7年くらい前に増築して、焼き立てパンを売るようになった。美味しい。大好き。
この病院は駅から近いのに、車でしか行ったことがないので、自力での通院は困難です。
実家を頼れる「今」はいいけど、1人で通院ってなったらどうしましょうね。


⒊名古屋市総合リハビリテーションセンター(通称リハセン)

約1年、入所訓練を受けていました。空きコマに喋ったり、夜はみんなで大富豪したり、楽しかった。
Iやん、Sっちと私、3人をまとめて「ちびっこ三銃士」呼びかわいがってくださったMさん。
高次脳機能障害の改善を目指して楽しく訓練したり、身体障害の軽減を目指したり生きていくための練習をしたりする場所でした。

「脳活(脳を活性化させる取り組み)」や「音読練習」、「PT/OT/ST」や「心理(高次脳機能障害を軽減させるために、臨床心理士さんのヒントの下難しい問題に取り組む)」があって、午後の時間は「創作活動(革細工、切り絵など)」があった。
あそこのご飯は、そんなに好きではなかったな。牛肉を使うのが主流な献立を豚肉でやる、ちょっとくやしいww


今に至るまでにかかった病院は10ヶ所くらいかな(小児科や歯医者などなど)
少ないほうだと思う(勘)
生前は病院が好きではなかった(敬遠)
普段行かないところへは行きたくない、道わからないし。


引越し先によっては、これらの通院先を変えなくてもいいかもしれない(どこに住むとしても、少なくとも南病院は変えざるをえないだろうが)


橘エリーの「役割」とは

私はは身体障害者手帳保持者(身体障害者)として、今は精神障害者保健福祉手帳所持者(精神障害者)としても、
「今を必死に生きているー」。


大学の友人からは「頭がいい」「すごい」「楽しい」「歌うまい」等を言われる。
なぜ言われるのか、私はいまだに理解できない。



前提として、私は生きている価値のない存在だ。
私は生きる必要のない存在だ。
早くいなくならなくてはいけないのに、それをできない。

わっこさんと結婚の話も進めているし、友達は仲良く遊んでくれるし、大学の後輩や事業所の人たちも良くしてくださる。

なんでかはわからない。
私はいないほうがいいでしょう?

わからない。わからないんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?