⒈はじめに➁

 『自分の今までを振り返り「丁重に葬り去る狙いで卒業研究レポートとして提出したもの」を「note用の読み物」という形に編集しなおし供養するというお焚き上げ作業』を通して、私は「橘エリー」を弔いたい。
 そのうえで「残念ながら、どうしたって、今までもこれからも私は橘エリーだ、仕方がない」と開き直り、自分に落胆しつつも楽しいものに全力投球しながら生きていけるようになりたい。「死にたい」思いに「今でなくても」と冷静に返す、そんな生き方ができると良い。

 私は交通事故を経験したことで、「自分」というものがよくわからなくなった。卒業研究レポートを書いている最中も、書き上げてしばらく経ちnote用に改めて手を加える必要性に駆られている現在も、わかっていない。

 高校1年生という年齢は、ライフステージでいう青年期、一般には思春期と呼ばれる。思春期という「自我拡散」の時期だったからこそ「自分」についてわからなくなっていただけで、交通事故による喪失体験とは特段関係がないかもしれない。卒業研究レポートを執筆していたときの「私」にも、note用に手を加えている現在の「私」にも、そこの区別がついていない以上、それは誰にもわからない。

 しかし、交通事故に遭う以前(以下、「生前」)の私は、進路について自発的に考え、将来に向け勉強しようとしていた。(勉強「しようとしていた」だけで「勉強し始めた」わけではなかった。(元来頑張ることが苦手だから)
 それに対し、交通事故に遭って以降(以下、「死後」)の私は、全てではないにしろ生活の大半を周りに流されて人生を送っている。人に従って生きていくことは、確固たる信念をもって生きていくことより労力が少ない。他人が勧める決定に便乗するほうが「楽」であり、自分はただ言い訳や文句を言うだけで済むからである。
 しかし、某福祉大学に入学し、そこでゼミの教員であるキリン先生と出会い、私は改めて「それではいけない」と思うようになった。キリン先生に出会って年数が経ち、「自分の人生に責任をもつ」ことが、人それぞれの「自分」に対する最低限の礼儀だと思うようになった。

 生前の「橘エリー(以下、「マリン」)」は、頑固で頭が固く、外界に対して興味関心のあり方がはっきりしており、興味がないときは「なんでもいい(どうでもいい)」と、興味があるときは周りを気にする余裕もなく「人は人、自分は自分」と割り切って生きていたはずだ。現在のように、周りの意見を聞くばかりで自分の頭で考えようとしない者を「私」と認めるわけにいかない。それでは亡くなったマリンに失礼である。
 死後の「橘エリー(以下、「エリー」)」にも自発性が備わっていること、自発的に物事を理解しようとし行動しようともがいていることを、ネット社会に生身を投じるというカタチで記録に残したい。


「卒業研究レポートとして仕上げたものをnote投稿用に加筆修正する」という屈折した虚栄心の塊を、エリーの人生における一つの通過点とする。

なお、以降の卒業研究レポートならびに本マガジンは「橘エリーがマリン、エリー両氏の記憶をもとに」書いているものであり、必ずしも事実に即しているわけではないことを言い添えておく。私は自分の記憶に自信がない。

私は「文字を紡ぐ(「書く」と同義)」ことのほかにやれることはない。

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