医師に過不足なく伝えられたら、いいのに

診察があった。
「入院中に断薬したけど、もっかい薬飲みたい」というようなことを伝えた、はず。

「飲まなくても耐えられているなら大丈夫」みたいなこと言われた気がする。
しかたないから耐えているだけで、耐えたいわけではないんよ。

「今回は飲まなくても平気」ってときに頓服薬を飲んでも、
それは「眠気」に変わる、ってお話でした。

入院したのも、短期間で退院に踏み切ったのも、「そういう経験をした」というものだから、と。

主治医は、あまり薬を処方したくないのかな?
不必要な薬は、ってことだろうか?
ということは今まで、必要だったのかな…
私は「むしろ飲みたい」くらい。
献血できないから、薬にはこだわらない。


「献血をできない自分に価値はない」
「私が生きていることは罪(私がいたという事実がすでに’罪’)」なのだから、少しでも社会に貢献しないと申し訳ないじゃん…


今のところ誰からも共感されていないけれど、私は「そう」感じている。「こう」思っている。

私が生きている意味はない。
死に向かうべきなのに。一刻も早く、死んでいるべきなのに。
それを叶えられずにいる。


私は本当に「うつ病」を名乗っていいのだろうか。
怠惰なだけ、ではないだろうか。
主治医をはじめとする医療従事者、基幹相談支援事業所の担当者、大学の支援センター、
私は、いたって善良な皆さんを、悪意をもって騙しているのではなかろうか。


「’この思い’は病からくるんだよ」「エリーさんは病気なんだよ」と言われても、私には響かない。

それがもし本当なら、私は中学生の頃から、うつ病だった。
そして、今後治っていく未来は見えない。
いつからうつ病なのかな、どんなきっかけだったのかな、どうしたら治るのかな。


私の肢体不自由は治らない。きっとうつ病も治らない。
一生付き合っていくものだ。
覚悟はできてる。できてるけど。

うつ病にならないほうが、絶対よかった。
交通事故に遭わないほうが、絶対よかった。

「過去は変えられない」けど、何回悔やんでもいいじゃないか。
なにもうまない時間だけど、気持ちが晴れるわけでもないけど、
褒められること、認められること、ないのかもしれない。
だけど、それらがあっても「いい」じゃないか。


もう一度入院したい。いいのかわからないけど。
もう一度薬を飲みたい。頓服ではなく定期的に。
主治医と「うまく」お話できない…


どう話したらいいのかな
「人」が、少し遠いんだ。

だれか…

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