せめて「今」だけは君のことを

退院してすぐ、知ったアプリがある。


さまざまな「資格人:らいせんちゅ('license(資格)'と'〜ちゅ(〜する人)'を組み合わせたエリー造語)に相談できるアプリ」

らいせんちゅ
看護師、精神保健福祉士、作業療法士、社会福祉士、臨床心理士、〇〇カウンセラー、□□アドバイザー、などなど

退院してすぐ(人さみしい時期)だったこともあり、
「相談したいことがある」というより
「誰でもいいから話し相手がほしい」気持ちで始めた。

友達に話すより『専門家に話す』ほうが楽だ。バイアスを考慮する必要がない。
(悩み相談の素人は無意識に「自分の考え」を全面に押し出す。プロはそういうことしない)

近しい人「それぞれのバイアス」を考慮するか、自分の紹介を毎回するか。

私は紹介するほうがマシだと思った。
「私のことを知らない故の『…一般人はそんな考え方するのか(失望)』」はゆるせるが、
「私のことをわかっているはずなのに『…'あなたは'そう思うんですね(話さなければよかった失望)』」は受け入れがたいから。

(私が気軽に話せる相手が「バイアスを強調しがち」なのも関係するかな)
↑あの人らがバイアス強いのか、私のバイアス許容量が少ないのか、わからないしわかりたくもない


「遠くの親戚より近くの他人」と言うが、
「近すぎる他人」は時と場合により毒だ。


療養入院により頭のモヤが多少減ったとはいえ「はじめの一歩」はやっぱりつらい。それでも(自分のために)毎回手打ちで自分を紹介した私はえらい。
偉いと思うし、えらかった(三河弁で「疲れた」の意)


始めて2週間。
お話したのは約30人。

──ここでひとつ、どうしても頭に浮かぶことがある。

私は本当に鬱なのか?

主治医ちゃんや南病院の好意につけ込んで医療を受け。
国や県、自治体をごまかして補助を受け。
「働けないもん」と職探しすらせず。

私は「やろうと思えば」できるはずだ。
やろう(やりたい)と思えないから、引きこもっているだけだ。
  つまり私はだめだ。生きる価値がない。



私には3人以上(少なくとも2人以上)の橘エリーがいるように思う。
チャーさんに「二重人格か」と訊ねられた過去「私も疑ってる、ちょっとオカシイよね?」


①主人格みたいな「橘エリー(私)」
②私(主人格)に冷たく厳しい「橘エリー」
③欲求に忠実で人に流されやすい「橘エリー」



↑多重人格と呼ぶにはあまりに「境界線」が曖昧で、ほとんど記憶を共有している。
(たまに30秒~10分前の記憶ないけどね)
きっとこれは「多重自己状態」ってやつ。


もっと早く、主治医ちゃんに話していたらよかった。相談していたら良かった。
2005,06年とかそのくらいから「ある」と思う症状なのにね。南病院は3年めなのにね。
次回の診察は2週間先。今度はきちんと話せるといいな
(退院後の世界は刺激が多くて、ときどき記憶とびそうになったよ、って話し出そうかな)

困るのは「私だけ」だから、相談するかどうか悩むんだよなあ(知人友人はこんな私を受け入れている。はず)
脳内トリアージは最下層。
精神科医にも、歴代の臨床心理士にも告げていない

初診からずっと2週間きざみ。
病状が安定したら、4週間とか2~3ヶ月とか、空くんだよね?
(週1ではないけど)私は短いほう、なのか?
「病状が安定してない」んだろうか

主治医ちゃん受け持ち多いだろうに、私ひとりのために、外来で30分割いてくれたことある。
「あの日の私の理解力が足りなかった」だけ、かな?
30分超えが(少なくとも)2回。
5分のときもあった気がするけど、平均すると20分近いと思うん。


──私はどうしても、申し訳なさが勝つ。


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