「あらかじめわかっている後悔」
会議にて、
「恋人のところへ行きます(`・ω・´)キリッ」と、歯切れ良く言えなかった。
『恋人のところへ行って、本当にいいのか』と悩んでいるのは、誰よりも私だから。
恋愛とはまず相手を好きになる、そして好きが恋になって、恋に愛が加わって恋愛となる
— 崩時 (@VOID4G) May 20, 2015
それで恋が消えて愛だけになって落ち着いてきた辺りが一番幸せな時
そこから愛に情けが加わって愛情となり愛が抜け落ちてただの情となる
そこから心も無くなってブルーになるか、青さが抜けて心になるかは人次第
私は今どの段階にいるのだろう…
「好き」は過ぎた。「恋愛」も過ぎただろう
。もしかしたら、「愛」が終わったかもしれない。
私が「恋人を好ましく思っている」かどうか。憎からず思っている、大切な存在ではある。
恋人は私のことを溺愛している気がする(それが'思い上がり'でないことを祈るばかり)
2人の間に温度差があることで、なおさら、
私は「恋人から寄せられている『好意』を悪用している(する)」のではないだろうか、
という考えに支配されている。
私は「私を」信じることができない。信じたりなんてできない。
だって、裏切ってばかりだから。人に甘えて、搾取してばかりだから。
だれがこんな私を信じるというの?
私は全力で「橘エリーのネガティブキャンペーン」をするよ。どんどんしていくよ。
「相手を好きかどうか」で悩むようなやつが結婚なんてしていいはずがない。
そんな生半可な気持ちで、いいわけがない。
わからない、わからないよ
かと言って「好きなのかどうか」を突きつめて考える余裕はない。
時間はある、心がない。
わっこさん(恋人)は、悪い人ではない。
「悪い人ではない」という評価が良いのか悪いのかはさておくとして。
私は、わっこさん(恋人)のことを好きなのだろうか?
私は、わっこさん(恋人)のことを「金づる」と見ているのではないか?
「金が欲しい」は絶対ではない。
自分ひとりの食い扶持は負担できる(たぶん)
私はたぶん、たぶんというか8割がた、「社会との繋がり」を求めている。
「私が真に欲しているものは、わっこさんではないかもしれない」と私が気づかないように
私が好んで用いる言葉に「便利」がある。
自分の思い通りに、言った通りに動いてくれる(+動こうとしてくれる)人に対して、
私は「便利」という。
「そんな言い方ないでしょ」等言われても、私は悪びれず「便利」という。
相手に感謝が伝わっていさえすれば、
何やってもいいと(半ば本気で)思ってる。
面と向かって言うことは少ないよね、「便利」って。
人に向かって「便利」と言うたびに、そう思うたびに、私の中の「なにか」が欠けていく。
そんな気がする。
でも「便利」と思うのを改めることができずにいる。
私は、私を、傷つけたいの?
私は、わっこさん(恋人)を、傷つけたいの?
…わからない。
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