「あらかじめわかっている後悔」

会議にて、
「恋人のところへ行きます(`・ω・´)キリッ」と、歯切れ良く言えなかった。

『恋人のところへ行って、本当にいいのか』と悩んでいるのは、誰よりも私だから。


私は今どの段階にいるのだろう…
「好き」は過ぎた。「恋愛」も過ぎただろう
。もしかしたら、「愛」が終わったかもしれない。

私が「恋人を好ましく思っている」かどうか。憎からず思っている、大切な存在ではある。
恋人は私のことを溺愛している気がする(それが'思い上がり'でないことを祈るばかり)
2人の間に温度差があることで、なおさら、
私は「恋人から寄せられている『好意』を悪用している(する)」のではないだろうか
という考えに支配されている。

私は「私を」信じることができない。信じたりなんてできない。
だって、裏切ってばかりだから。人に甘えて、搾取してばかりだから。
  だれがこんな私を信じるというの?
私は全力で「橘エリーのネガティブキャンペーン」をするよ。どんどんしていくよ。


「相手を好きかどうか」で悩むようなやつが結婚なんてしていいはずがない。
そんな生半可な気持ちで、いいわけがない。
わからない、わからないよ

かと言って「好きなのかどうか」を突きつめて考える余裕はない。
時間はある、心がない。
わっこさん(恋人)は、悪い人ではない。
「悪い人ではない」という評価が良いのか悪いのかはさておくとして。



私は、わっこさん(恋人)のことを好きなのだろうか?
私は、わっこさん(恋人)のことを「金づる」と見ているのではないか?

「金が欲しい」は絶対ではない。
自分ひとりの食い扶持は負担できる(たぶん)
私はたぶん、たぶんというか8割がた、「社会との繋がり」を求めている。

「私が真に欲しているものは、わっこさんではないかもしれない」と私が気づかないように



私が好んで用いる言葉に「便利」がある。
自分の思い通りに、言った通りに動いてくれる(+動こうとしてくれる)人に対して、
私は「便利」という。
「そんな言い方ないでしょ」等言われても、私は悪びれず「便利」という。
  相手に感謝が伝わっていさえすれば、
  何やってもいいと(半ば本気で)思ってる。
面と向かって言うことは少ないよね、「便利」って。

人に向かって「便利」と言うたびに、そう思うたびに、私の中の「なにか」が欠けていく。
そんな気がする。

でも「便利」と思うのを改めることができずにいる。

私は、私を、傷つけたいの?
私は、わっこさん(恋人)を、傷つけたいの?
…わからない。

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