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【いつか死ぬってこと忘れてません?】


桜が散りました。
冬も終わったようです。
みなさま、何かお忘れではありませんか。


🚣‍♀️


「人の一生は
 滝つぼに向かう船の上で
 宴を開いているようなものだ」


鎌倉時代後期に書かれた
歎異抄(たんにしょう)という仏教書の一節だそうです。

昔から”参拝ババァ”と揶揄されながら
神社仏閣に足しげく通ってきた私ですが、
仏教について勉強したことはありませんでした。


しかし淡路島に来てから
なぜか猛烈に仏教に惹かれているのです。


自然を見つめるときたくさんの気づきを
与えられるからでしょうか。


この世は諸行無常。
なにひとつ、永遠に変わらないものなどない。


幸運は永遠ではないし、不運も永遠ではない。


しかし
老若男女、貧富貴賤
すべての生きとし生けるものに
変わらず、存在しつづけるもの。


それは…
遅かれ早かれ "死ぬ" ということ。


人は必ず死ぬことが決まっている。


決まっているというのに、
やれ地位や名誉や金や恋や結婚や遊び。

つかの間の幸福にしがみつこうとする。

さらに、いつか死ぬのも忘れて
無駄なときを過ごしてしまう。


無駄なとき。
それはたとえば…
人と自分を比べるような時でしょうか。


いいなぁ、あの人は仕事ができて。
いいなぁ、あの人はあんないい家に住んで。
いいなぁ、あの人は見た目が良くて。
いいなぁ、あの人はお金があって。


滝つぼに落ちるのはみんな一緒。
みんな漏れなく死ぬというのに、
よその船の宴にばかり気を取られてしまう。



私は割と早く次々と
親族の死を経験しましたから、
死はいつも身近な存在でした。



あー明日死ぬかもなー。
ならこれ食っちゃお。

あー明日死ぬかもしれん。
よしこれ飲んじゃお。

断捨離かー。
思い出がありすぎて捨てられないよー。
そんな時も、私はこう呟くのです。
「どうせ死ぬ。ポイッ」


冒頭の歎異抄の言葉を教えて頂いた
とあるセミナーでは、

「人は死ぬとわかっていてなぜ生きるのか」

がテーマでした。45分の講座で。


45分でこんな壮絶な問いの答えを出そうとするおつもり⁉︎と食いつき申し込んだ私。

羽田から成田まで無理矢理飛行機飛ばすようなもんです。

もちろん答えは出るはずもなく、
やはり「仏様に念仏を唱え救いを…」という着地点でした。


私は
宗教信仰に興味があるんじゃないんです。


やはり、考えを巡らすことのできる
"言葉" に興味があるのです。


そうしてモヤモヤしながら
壮絶な問いの着地点を探していたある日。


ある外国人がけん玉をしながら私の方に歩いてきました。
どんな状況でしょうか。

私はですね、
ここ淡路島に居ながら
仕事もプライベートも360度
外国人に囲まれた生活をしているのです。



けん玉を手に持ってポーズを決めたその方は、
けん玉のけんに向かってか玉に向かってか
私に向かってか、こう叫びました。



「玉がのってものらなくても
 ぼくはシアワセです!!」


私はハッとしました。


これだ、と。

死ぬとわかっていながら、生きる意味。


目の前に起きる出来事がなんであれ、
いつか死ぬのであれ、
人生は幸せなものだと思うこと。

それは生きている今、この瞬間瞬間に、
自分をいつも幸せにしてやること
ではないでしょうか。


けん玉もなかなかしませんけど、
けん玉しながら深い言葉ってなかなか出ませんよね。

ぜひみなさまにシェアしなくてはと
思い立った次第です。


そして気になる
けん玉の行方はどうなったか。


深い言葉を言ってかっこつけた手前、
乗せにかかろうと前のめりすぎた彼は、
けん玉の近くに顔を持っていきすぎました。


「Awwwwwwwwwww........!!!!!!!!!!」


あの大玉を顔に強打。

船の上はどうも宴だけではないようです。

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