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これからの時代に必要なのは宗教と科学を繋ぐことだ!(3)〜ヌーソロジー

現代人の空間はいかに貧相でみすぼらしくなってしまったことか。こりゃ骸骨だよ。科学的世界観に催眠術をかけられて、命が生きている空間を見えなくさせられてしまっている。その空間を取り戻さないと、きっと、世の中は何も変わらないと思うよ。3次元空間だけの世界ってのは、結局、骸骨をいくつ集めたかを競い合うような世界なんだよね。

ヌーソロジーを提唱している半田広宣さんのサイトからの引用だ。

ヌーソロジーは半田氏本人の説明によれば

物質と意識を統合する
意識物理学から生まれた新たな理論体系

宇宙は見える世界と見えない世界、つまり<物質>と<意識>とで成り立っています。

前者は万人に共通の科学的知識によってある程度までは、説明することはできますが、後者は科学ではなかなか説明することができない不可思議な世界です。そのため、意識に関する理論はいつも哲学・宗教・心理学の領域の中で説明されてきました。

別名、意識物理学と称されるヌーソロジー(ヌース理論)は、まだ科学では説き明かすことのできない、この見えない世界の構造に幾何学的なアイデアを持ってメスを入れた新時代の科学のアーキタイプともなり得る壮大な理論です。

元のサイト

半田氏の本(正確には砂子岳彦氏との共著「光の箱舟」)を読んだ段階で、説明していることが、これまで読んできたOSHOーバグワン・シュリ・ラジニーシやラマナ・マハルシ、あるいは仏教関連や自己啓発、スピリチュアル関連の本に書かれて来たことととても近いと感じた。
難しすぎてほとんど理解できていないので自分では検証のしようもないのだけれど。

冒頭にあげた文章をまず引用したのは、つい数日前にこれを実地に体験する出来事にであったからだ。

友人がオーナーになっているオーナー制のリゾートホテルに誘われて友達グループで泊まりに行った。

そこは箱根に近い落ち着いた温泉街にそのリゾートグループとしては割合新しくできたホテルで、大きく豪華な作りになっている。
どうもデザインのコンセプトは尾形光琳などのいわゆる琳派のアートを模したデザインらしいのだが、まあ、見事にその形と形式だけを取り込んだ形骸化したデザイン、まさに尾形光琳の作品の骸骨だ。

アートから生命感を抜き取るとこうなるのか!という変な驚きを持ってしまった。

50年くらいアート制作をして来て、一つの作品に命を吹き込むことがどんなことなのか、追求して来た者にとってなんとも息苦しく感じる。
だって花や蝶など命あるものを描きながら、生命感が微塵も感じられないのだから。

大きな温泉もあるホテルなのに、帰って来たら動けなくなるほど疲れてしまった。

酸素が少なくなると高山病になるのと同じように、気が枯れた状態の中にいたせいだと思う。
気功で治療をしたり、パワースポットと言われるような神社に行くととても気持ちが良かったりするのと真逆の、気から遮断された状態。

ちなみに気が枯れることを気枯れ→ケガレというらしい。
この言葉の意味が本当によくわかった。

今、世界中でお金が余っているらしい。だぶついたお金をたまたま手にする方法を得た新興の富裕層はもちろん日本にも沢山いて、その大量のお金の使い道を探すわけで、その受け皿となるのがこういう富裕層ビジネスだろう。

ヌーソロジーは物質的世界を幅、精神的・霊的世界を奥行きで表している。

幅が増えれば奥行きがなくなるという道理らしい。
幅を効率よく増やすのには奥行きは邪魔になる。

まさに富裕層ビジネスは幅の世界、いかに大きな幅=物質的豊かさ、に見合うものを提供するのか?というものだから、奥行き(精神性、生命感や自然感)を排除することは必須要素となる。

すごくシンプルな話だ。

ちなみに、戦前までのお金持ちには「旦那の文化」があった。
ある程度以上のお金があれば、茶道や能鑑賞など文化的なことを身につけたり、芸術を蒐集したり支援したりするのが当たり前だった。幅が増えれば同じだけ奥行きも増やすのが当然の文化だったのだろう。まだ宗教的な素地が生きていた時代、物質的な余裕ができれば精神的な余裕も求めるのが自然だったのかもしれない。


そういう意味では近現代というのは人間が退化していると言っていいのかもと思う。

半田広宣氏のヌーソロジーはこういう世界の仕組みを幾何学的に説明したり、量子物理学と対応させていたりするので、まさに私の頭では全く歯が立たない。
読んでいても頭を素通りするだけなのだけど、私のように理解できない人は理解しなくてもいいんだな、とも思う。

そのめんどくさい理屈はわからなくても、この幅と奥行きというイメージだけでも、真我とは何か?とか高次元の世界とはなんなのか?とかの実感を助けてくれる気がする。

追記
この記事を書いた後、半田氏がシリウスの意識からチャネリングした内容が書かれた「シリウス革命」を読んで、ご本人がとんでも本だと断っている通り、とんでもないことが書かれていて、私自身は大きな違和感を覚えましたが、だからと言って彼の提唱しているヌーソロジーの全てを否定してしまうのはちょっともったいない気もしています。

あまりに面倒くさい話でこれをちゃんと理解するだけの頭と時間はないので、こういうことを言っている人もいるんだな、くらいに私は留めておこうと思います。


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