「ヤマシタさんの作品がみたい」

「フォローしてもいいですか。ヤマシタさんの作品みたくて」

漫画家さんに言われた言葉である。

自分は絵を描いてメシを食うことができなかった方の人間だ。

出版業界にいても漫画家さんは別の畑でがんばっている人たち、というような遠くの世界の人たちだった。
とあるオンラインサロンに入って、漫画家さんをすごく近くに感じるようになった。

これまでの編集の仕事といえば、書籍、雑誌、漫画くらいで、3つとも違うといえばそうで実際に「漫画編集一筋10年」という人もいるんだろうが、版元にいけば書籍編集も雑誌も経験しましたとか、漫画編集も雑誌編集も経験しましたなんてザラなんだろう。

出版社に勤めていたが、漫画家さんとは仕事をしたことがない。フリーランスのライター、カメラマン、デザイナー、イラストレーターなどといった職種の方とはさんざん一緒に仕事をしてきたのだが。

自分にとっての漫画家さんは、自分がどんなにあがいても手の届かないところにいる人たちだ。


いや実際のところ自分はそこまで絵を描くための努力すらしていない。はなから美大を目指さなかった。自分より上手い人に囲まれることに耐えられないと思ったからだ。
やらない言い訳ばかりして、自分より絵が上手い人に嫉妬ばかりしていた。人の絵を素直に褒められずにいた。絵が描けない自分へのイライラばかりが先行してしまっていた。

絵を描くのは趣味でいいと思った。いつの間にかスケッチブックを買っても絵すら描かなくなっていった。美術館にいく頻度が減っていった。ほかのことへの興味といってしまえばそれまでなのだが。充実した日々を過ごすことや何かを十分にやりきることで、嫉妬心が薄れることも学習した。年をとると若い頃のように恋できないように、ただ年をとったら嫉妬できなくなったからなのかもしれないが。

10代を終え、20代30代と年齢があがるとともに「できること」が増えていった。アラフォーになった今、これからは、年齢があがるとともに「できること」が減っていくのだろう。
先が見えないから不安だというのは若い頃の話で、今は、先が見えすぎている不安を抱えている。

今、オンラインサロンで、漫画家さん、これからプロを目指そうとしている漫画家さんの創作に刺激を受けまくっている。
「この漫画家さん絶対売れるじゃん」とか「この漫画、受賞するんじゃない」とか、漫画を読んで勝手にドキドキしている。

創作する側になりたかった筈なのに作品を生み出さない側にいる自分に、プロを目指している漫画家さんたちの熱量がグイグイ入ってくる。心を動かされている。創作意欲をかきたてられている。他人の作品、こういってはなんだが素人の作品にこんなにも自分の心が躍るとは思ってもみなかった。

あとは自分が手を動かすだけなのだろう。

「ヤマシタさんの作品がみたい」と漫画家さんが言ったのは、私を同じオンラインサロンにいる漫画家と勘違いしたからだ。

漫画は描けない。
でも文字は書ける。
漫画を描いてお金を稼ぐことはできなかったけど、文章をかいてお金を稼ぐ人にはなれた。

踏み出せるのだろうか。
できれば安定を捨てて踏み出せる人になりたい。

自分の作品を世の中に出したい
というのは自己満足な欲求なんだろうか。


小説家になりたい。

ただ書いてお金を稼ぐフリーライターではなく、小説家になりたい。



いつか一緒に仕事ができたらいいなと思う。

#キナリ杯


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