シオ

真っ白な風船が飛んでいる。
割れてもないのに野原で寝そべっている少女の横に降ってきた。中からはミモザの花が溢れてくる。

彼はワンルームのベッドの上で天井の一点を見ている。特に出るべき講義もないのだろう。
大学三年にもなって将来やりたいことも勉強したいことも見つからない。
去年の成人式、もう働いて自立している人も将来に直結する分野の勉強で忙しくしている人もいた。その場で笑っているだけの自分に嫌気がさした。
二年前まではそうではなかった。二年間いきたい大学に向かってやるべきことだけをしていて、大変だけどそれが心のよりどころでそこに安住していた。
何も考えずに努力できる場所があるのはいいことだ。そこに責任は存在しない。もし失敗しても周りは認めてくれるのだから。

少女はミモザの花を手に取り花冠を作った。生成色のワンピースにミモザとシルバーリーフ。世界は、きれいなものでいっぱいだ。

夕方、このオレンジ色の夕日は嫌いじゃない。今日という一日を終わらせてリセットしていいという合図だ。何かをしなければ何かを変えることはできない。そんなこと、今まで生きてきた約 6800 日が示しているというのに、どうしようもなく期待してしまう。
何か変われ、と。

オレンジ色の光が彼女の世界を暗くする。この時間が嫌いだ。別れを惜しむようにおもむろにミモザの冠をおいて、彼女は今日も帰っていく




2021 年 4 月 16 日、金曜日。雨。
毎日飽きもせずに彼女が見つめる窓の外には一体何があるというのだろう。そう毎日飽きもせずに光に照らされた彼女の黒髪を見ながら考える。
ミナセシオ。一年前突然僕に告白してきた、ただのクラスメイト。

2021 年 4 月 17 日、土曜日、曇り。
今日は午前練だ。道場のこの張り詰めた空気感が好きだ。大会の時なんかのそれは、実際に
体感したことがある人にしかわからない、なにか特別なものがある。
今日も彼女が的をまっすぐに見つめる横顔はきれいだった。あの混じりけのない瞳に惹かれたのは、そんなに最近のことではない。
あの瞳に映っていたいと願うのはいけないことだろうか。

2021 年 5 月 5 日、水曜日、晴れ。
今日でコロナのせいで休みになったという体の部活休みが終わってしまう。暇なのは今日まで。
暇だし、今日はスマホより自分の書く下手な文字を見ていたい気分だ。
こういう気まぐれは大事だと思うから、今日は過去のことについて書き留めておこうと思う。
こんな風に、実際僕は、自分が存在していたという証拠を残したくて日記を始めたんだ。

2017 年の 9 月、中学一年生の夏、正確には夏休み明けの席替えで彼女の隣の席になった。
ここで恋愛小説のような展開を連想するのはあまりにありきたりだが、中学生の世界観なんてそんなもので、その頃から彼女は僕にとって周りと少し違って見えていた。きれいに一
つに束ねられた黒髪は四年たった今と同じように、外からの光に照らされてさらさらと風になびいていた。
しばらくたつと僕たちはよく話す仲のいいクラスメイトになっていた。放課後、部活が終わるのを待って一緒に帰ったり、図書館で向かい合ってガチのテスト勉強をしたり、だんだんと一緒にいるのが当たり前になっていくのを感じた。当時周りには付き合っているとさんざんからかわれたが、僕たちはそんな関係になったことはなかった。
彼女は休み時間によく本を読んでいた。一度だけ「白い風船」という本を借りたことがある。
僕には筆者がいいたいこととか面白さとかよくわかんなかったけど、彼女はその本が好きだったようで、この四年間で少なくとも十回は彼女がそれを手にしているのを見た。

アラオイブキ。中学2年の春、この名字のおかげで自分のクラスを見つけるのは容易かった。
けど、同じ列にミナセシオの名前はなかった。何分間か探してやっと見つけた彼女の名前は、僕の隣のクラスの名簿にあった。
クラスが離れてしまうと、わざわざ会いにいかない限りほとんど話すこともない。仲が悪くなったとかそういうわけではないが、彼女と関わることが減った。

「2020 年 6 月 17 日、水曜日、晴れ。」 この日のことはよく覚えている。
偶然同じ高校に進学し、同じ部活動に所属した彼女と僕だったが、中学以来ほとんど会話もしていなかった。
それなのにこの日、部活のあとみんなが帰って自分一人になっていた部室を後にすると、目の前に彼女が立っていた。
「わたしはずっと、イブキのことが好きだった。」
その言葉だけを残して、彼女はすぐに背を向けて帰った。
なぜかはわからなかった。だけど、彼女は泣いていた。
彼女が突然こんなことを僕に伝えた理由として考えられるのは三つ。
① 彼女の身のまわりで何か悲しいことがあって、僕に助けを求めた。
② 何らかの原因でここにいられなくなり、もう会えなくなるため別れを告げに来た。
③ ただの気まぐれでその時突然気持ちを伝える気分になった。
引っかかるのは、それが過去形だったことだ。わざわざ伝えなくてもいいのに。好きだったということは今はそうでないということだ。その頃もまだ彼女を想っていた僕は振られた
も同然だった。
結局謎は謎のままで、彼女はその後変わった様子もなく月日は経った。もともと最低限の会話しかしていなかったため、部活中僕がそのことについて尋ねなかったことで何のぎこちなさも生じなかった。


2021 年 6 月 17 日、木曜日、曇り。
あの日からちょうど一年が経った。これが何を表す日なのか、僕は未だに理解できていない。
だけど今日、彼女はまた僕の前に現れた。

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