アイドルは「表の顔」だけ見ていればいいのではないだろうか

 「目から鱗」とはこのことかというぐらい腑に落ちる意見を見かけた。 

 「表の顔だけ知ってれば良いにわざわざ裏の顔や本心見に行ってショック受けてるのは馬鹿」 


最近いろんなジャンルのアイドルどころか、声優や中にはユーチューバーのプライベートまで詮索して騒ぎになっている。

しかしそのほとんどが至極どうでもいいものばかりで、あまりにも好きな人のことを調べすぎようとしている時代になっているのではないかとも感じる。

今の時代アイドルや声優についてファンが全てや裏側を知ろうとしすぎるようになったしネットでいろいろと出回るようになってしまった。 

 一挙手一投足を調べないと気が済まなくなったし、裏の性格まで重視するようになってきた。


今までのアイドルというのはある意味、芸能人として演じている虚像だったのかもしれない。それがそのアイドル本人への興味に対象が変わってしまっている。

歌やパフォーマンスよりトークや親近感が重視されるようになったのもこの時代の傾向だろう。


たとえばAKB48の渡辺麻友が「20歳になってから自我が芽生えてきた」という話をしていたのだが、それがある種邪魔になっている部分もあるように思う。

よく言われるのがアイドルをお人形として求めている層と本人として求めている層があるということだ。

渡辺麻友と指原莉乃がいたとき、自分はまゆゆに関してはあの容姿とあの声でツインテールの黒髪にして可愛い衣装で踊っていればいいと思っていたし本人の意思はそこまで重要じゃない。

一方指原莉乃にはリアルな人間性を求めるし、個人として興味を持っているがアイドルや女性として興味があるわけではないのが自分だ。


渡辺麻友は「最近は真面目な子が評価されにくい」とも語っていたが、彼女が評価されて大スターになっていた時代があるとするならばまさに「邪魔なまゆゆの意志」を巧妙に隠すことができていた時代だったのだろう。

ただ綺麗なお人形をやっていることができてたし、それだけが求められていた。


その時代からあまりにも本人や「リアル」というものが求められすぎて、特に秋元康はリアルな少女のストーリーみたいなものに拘ろうとする。

等身大とか、君らしく生きようとか、そういうフレーズが歌詞に多いしファンもそれを求めるようになってきている。

その結果、大スキャンダル時代が始まる。

アイドルが変容し、さらにネットというツールが出てきたことで昔以上にスキャンダルに遭遇する機会が増えた。

昨日他メンバーのスキャンダルを対岸の火事として笑っていたら、今日は自分のところでスキャンダルが起きている、その恐怖に怯えなければならない。いつ自分の応援しているアイドルや声優のところでスキャンダルがおきるかわからないのだ。このメンバーだけは大丈夫、そんな保証が存在しなくなっている。

東ドイツの密告社会のように徹底的に調べられ揚げる時代になり、スターリン時代のソ連のように次誰が粛清されるかわからない恐怖社会が出来上がった。ネットというのは人の監視意識を必要以上に高めているように思う。

好きなアイドルや芸能人のことをもっと知りたいと思うことは自分も理解できるが、結局のところ知りすぎて幸せになるケースは驚くほど少ない。

知らないほうが幸せなこともある、それはまさにアイドルに言える格言だ。

ここから先は

2,408字

¥ 100

面白いとおもたら銭投げてけや