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RAF コースタルコマンド。シンデレラサービス

 1918年に創設された世界最古の独立空軍であるRAF(王立空軍)の第二次世界大戦におけるイギリスへの貢献はよく知られている。戦闘機軍団(ファイターコマンド)はバトル・オブ・ブリテン勝利の立役者となり、爆撃機軍団(ボマーコマンド)はドイツ本土への継続的な夜間爆撃で成果を上げ続けた。

 一方で彼らと共にRAFを構成する三軍団の一角ながら、両者の陰に隠れ、不遇を託った軍団がある。それが、沿岸軍団(コースタルコマンド)だった。

1936年以降、RAFは戦闘機軍団、爆撃機軍団、沿岸軍団の3つで構成されたものの、沿岸軍団はまるで顧みられず無視された。

 RAFは1914年から始まる第一次世界大戦において、空軍力の優位が戦争に決定的影響を与える事が確信される事によって創設されたものの、共通の敵を失うと忽ち陸海軍とできたての空軍は揉め出した。軍縮が始まっている。それまで陸海軍でパイの奪い合いだったのが、空軍が混じる事で縮小した予算の獲得競争は混沌とした。三軍の中で最も発言力が強いのが海軍で、最も発言力が乏しいのが空軍であり、海軍航空隊と陸軍航空隊に基礎がある歴史のない軍隊である空軍は自らの有用性を証明できない戦間期、陸海軍に再度吸収されかねず、陸海軍に勝るとも劣らない自らの必要性を強くアピールせねばならなかった。

「今後の戦争は空軍力で決まる! すなわち、前線を飛び越えた戦略爆撃で敵国中心部を焼き払えばたちまち敵国は生産力を喪失し、また士気阻喪して速やかに戦争は終わるだろう。

 同じ事は我が国にも言える。敵国の爆撃機を叩き落とす優れた迎撃機が必要だ!」

 こうして矛としての爆撃機軍団、盾としての戦闘機軍団と言う考えが現れる。RAFは空軍力のみで以後の戦争は片がつくと強く主張した。主張せざるを得なかった。陸海軍のサポートに回るのなら独立空軍でいる意味とは何なのだと問われかねない。陸海軍に依存しない独自戦略が彼らの生存のために必要だった。海軍がたちまち文句をつける。

「大戦中、RAFの前身である海軍航空隊が何をしていたか思い返して頂きたい。ほぼ全てがドイツのUボートの監視に張り付き、商船の護衛に当たっていたではないか。空軍の本分は偵察にある。夢みたいな事を言ってないで現実に立ち返って頂きたい」

 一次大戦中、海軍力で勝るイギリスをあべこべに兵糧攻めにしようと企図したドイツは潜水艦を大量生産し、イギリスに出入りする商船を警告なしに沈めまくる無制限潜水艦作戦を実施していた。イギリスが誇りとする主力戦艦の巨砲も海の下の敵には無意味で、海軍は潜水艦対策に手を焼く。やがて海軍は新兵器である航空機を潜水艦対策に用い出した。史上初となる空母も、沿岸航空基地も潜水艦を見つけるために用いられた。当時の潜水艦は有事にのみ潜水し、通常時は鈍足で洋上航行している。そして潜水にはそれなりに時間がかかった。自らの位置を捕捉される事は致命的で、偵察機に捕捉された潜水艦は必死に逃げるよりなかった。ぐずぐずしてたら英国海軍がやってきて対潜爆雷の雨を降らしてくる。

 このやり方は大戦中、Uボート討伐に大いに貢献しており、商船の被害を減らした実績がある。海軍の言う通り、大戦中殆どの(85%超)海軍航空隊がこの任務に従事した。しかし空軍としてはこんな事はやりたくない。これでいいなら海軍の下部組織でいい事になってしまう。空軍は激怒して海軍に返した。

「木を見て森を見ずだ! そのような任務にリソースが割かれれば、本来必要な爆撃機や防空戦闘機が敵国に対して劣後し、海軍は健在でも首都は焼け野原となる! 空軍の本分は偵察ではない! 敵国の爆撃と防空にある!」

 海軍も激怒した。海軍航空隊は大戦中、脆弱なUボート相手ですら10隻しか撃沈できておらず、それすらも自己申告と言う航空機の攻撃力に海軍はただでさえ懐疑的で、そのひ弱な航空機を擁する空軍が自力だけで国防は成ると主張するのみならず、海軍の戦略にも非協力的と来ると、最早空軍と言う存在そのものの必要性が分からなくなってきた。

「空軍を解体しろ! 海軍航空隊を取り戻せ! あんなのは本来不要だったんだ!」

 絶滅の危機に晒された空軍は死に物狂いで抵抗する。

「海軍に一歩も譲るな! 組織としての存亡がかかってる!」

 かくして事態は感情的対立に発展し、海軍と空軍の殴り合いになった。発言力で大幅に海軍に劣る空軍は軍縮の時代、自らこそが効率的にイギリス植民地帝国の治安を安上がりに維持できるとアピールし、航空機に期待する政治家達の支持を取り付ける。一方の海軍は陸軍を巻き込み、空軍を何としても解体して海軍航空隊と陸軍航空隊に戻そうとする。三軍の権力抗争は1930年台まで続いた。

 海軍が求める対潜水艦戦と、陸軍が求める近接航空支援を空軍は徹底的に無視し、大戦中に主たる任務だった両者の代わりに空軍主体の任務である防空と戦略爆撃が重視される。最早一人で次の戦争を戦う気だった。空軍を憎悪する海軍は潜水艦対策にASDICソナー(水中聴音機)を開発し、潜水艦対策に自信を深める。

「ASDICがあるなら尚の事海上機なんぞ要らんだろ。空軍に必要なのは戦闘機と爆撃機だ」

 実際のところASDICは海流や魚群を誤探知する事もあり、また高速航行時には使用不能になる他、洋上を航行する潜水艦は勿論探知出来ないものだったにも関わらず、海上機なんて作りたくない空軍と、潜水艦と航空機を低く評価する海軍のために過剰評価される。

 1936年、ナチスドイツの脅威の増加に伴い、イギリスは軍拡に舵を切った。空軍も拡張され、戦闘機軍団、爆撃機軍団、そして沿岸軍団が編成されるものの、前大戦の海軍航空隊の役割を引き継ぐはずの沿岸軍団は冷遇された。空軍は対潜水艦戦をやる気がなく、それは海軍の仕事と割り切られており、海軍もASDICがあるから空軍なんて要らないと言うので、防空、爆撃と目的が明瞭な戦闘機軍団、爆撃機軍団に比べて沿岸軍団は役割がないまま放置される。

「我々は何のために存在するんだ。優遇される長女、次女に比べて、これではまるでシンデレラではないか」

 沿岸軍団は自らをシンデレラサービスと自嘲した。独自に対潜水艦戦をやろうにも、空軍省はそのような目的に特化した航空機の開発に全く乗り気ではなく、沿岸軍団は爆撃の際はお供せよとか、沿岸部の海軍の助けになれと命じられる。

「任務が限定的すぎる……。独立したコマンドである必要性が微塵もない……」

 沿岸軍団司令デ・ラ・フェルテは空軍省の沿岸軍団に対する無関心を批判した。

「シーレーン(通商網)防衛をここまで蔑ろにしていいのか? 海軍も海軍だ。対潜水艦戦に関して我々の協力は不要なのか?」

 空軍省は物事には資源の割り振りがある、と返答した。爆撃機を減らすか、商船を危険に晒すかの選択なら、後者を取ると答える。海軍は最早潜水艦は脅威ではないと高飛車に構えた。ガチガチの保守性で固めたロイヤルネイビーは自らの主力艦に信仰にも似た絶対の信頼があり、対潜水艦戦にはASDICが、対航空機には無数の対空砲があるのだから何も恐れる事はないと確信している。恐らく二次大戦に参加した列強の中で最も古臭い信念を持っていたのがイギリス海軍だった。

 かくして沿岸軍団は誰からも相手にされず、機材の更新は一番後で、何をする軍団なのか誰にも分からないまま放置された状態で1939年の開戦を迎える。開戦当初、空軍は航空機による商船襲撃を警戒しており、潜水艦は大した脅威ではないと看做したものの、まだ少数にも関わらずドイツ潜水艦隊は次々と商船を沈め、挙げ句の果てにはイギリス海軍のお膝元であるスカパフローまでやって来て戦艦を撃沈する。開戦から2ヶ月で73隻が撃沈された。海軍自慢のASDICは潜水艦の活動を抑制するには足りず、イギリス海軍は対潜水艦戦を根本から練り直す必要があった。

 1940年にフランスが降伏すると状況はさらに悪化し、イギリス海峡の半分を守っていたフランス艦隊が消滅した上、Uボートはフランスの港から出航することで、より大西洋に出やすくなり、イギリスの商船を襲撃しやすくなる。戦闘機軍団はバトル・オブ・ブリテンで気を吐き、爆撃機軍団は夜間爆撃を繰り返すも、商船護衛にはどちらも役に立たなかった。

「沿岸軍団は対潜水艦戦に専念せよ!」

 かくして空軍のシンデレラに指令が下る。しかし必要な装備を彼らは殆ど持たず、また依然として空軍省は戦闘機軍団と爆撃機軍団を優遇し続けたので、沿岸軍団は厳しい戦いを強いられる。1939年から1940年まで沿岸軍団は潜水艦相手に全くの無力であり、ドイツ潜水艦隊は1940年5月から年末にかけて300隻近く、計160万トンを撃沈してイギリスを震え上がらせた。

島国国家イギリスのシーレーンを守る戦いは大西洋の戦いと称され、大戦のほぼ全期間に渡って繰り広げられた。

「闇雲に戦っても無理だ。輸送船団に張り付いて護衛するのでなく、航路を事前に哨戒飛行しよう。少なくとも嫌がらせにはなる」

 沿岸軍団の航空機が哨戒飛行するようになると、Uボートは迂闊に浮上できなくなり、船団を発見するのが困難になった。また、Uボートが取るであろう航路にも沿岸軍団は哨戒飛行を繰り返す。

「ちっ、忌々しい! 相手が軍艦なら沈める事も出来たろうに……!」

 沿岸軍団が擁する低速の航空機は潜水艦の活動を抑制するのに効果的である事を証明した。1941年8月には初めて沿岸軍団はUボートを撃沈し、更に多くのUボートにダメージを与え、帰投を余儀なくさせる。

 1942年、遂に沿岸軍団は狩る側に回った。対潜爆雷やロケット、レーダーを装備した沿岸軍団の航空機は哨戒飛行で嫌がらせをするのみならず、浮上中の潜水艦を発見しては積極的に沈めて回る。沿岸軍団のライバルである爆撃機軍団は大元を断とうと潜水艦基地を盛んに爆撃するも、ドイツは基地を要塞化しており、なまじっかな爆撃は通用せず、戦果はゼロだった。潜水艦は結局洋上で叩くよりなく、そして沿岸軍団はどこよりも多くの潜水艦を撃沈する。

1942年を境にUボート艦隊と沿岸軍団の力関係は逆転した。最終的に沿岸軍団は212隻のUボートを撃沈し、大西洋の戦いにおける勝利の立役者となる。

 やがてオーバーロード作戦が始まり、フランスやベルギー、ノルウェーが奪回されると、Uボート艦隊はドイツの港に押し込められ、活動は低調となり、やがて消滅した。

 沿岸軍団は最も地味で目立たない空軍コマンドであり、その扱いは戦前も戦中も変わらず、空軍省は戦闘機や爆撃機など、正面装備を優先し続けた。しかし敵機を落とすだけが戦争ではない。海上護衛と言う最も重要な任務を沿岸軍団は遂に成し遂げる。

 かぼちゃの馬車も魔法もなくとも、彼らは正にシンデレラのように、自らが価値ある存在である事を証明した。

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