19世紀の炎上事件。リーズのドリッピング暴動
牛肉を焼いた時に出る脂肪をドリッピングと言い、イギリスではこれを貯蔵してパンに塗りつけたり、料理用の油として再利用する習慣がある。 ところがこのドリッピングが元で大騒動になった事があった。それが、リーズのドリッピング暴動。
1865年、イングランド北部ヨークシャーの大都市リーズの治安判事チョーリーに仕えていた女料理人、エリザ・スタッフォードは、料理の副産物として得られるドリッピング0.9キロを地元の洋裁師に売った。使用人がこうした役得にありつく事は当時珍しくなく、たとえば執事なんかはワインをがめてたりする。この頃ドリッピングは上流階級からはほぼ見放された食材で、不健康な食べ物だとみなされていた。ところがチョーリーはこれを見てカンカンになった。
「泥棒メイドめ! 訴えてやる!」
こうしてスタッフォードは起訴される事になった。彼女からしたら理不尽極まりない。
「職務上の謂わば副産物です! 皆やってる事ですよ!」
「黙れ! 小さなことでも何度もやれば多額の損失だ!」
黙認されてる慣習とは言え、大真面目に盗難で訴えられたら確かにそれはそうなので、スタッフォードは有罪となり、禁錮一ヶ月となった。 このニュースはリーズじゅうに広まり、主に貧困な階層の人達を激怒させた。
「ドリッピングひとつで労働者を刑務所にぶち込むとは、なんてケチ臭い野郎だ!」
街中にチョーリーを侮辱する文言が書かれ、すれ違う人達から彼は侮辱を受けた。ドリッピング! ドリッピング! と彼は道行く人から囃される。『タイムス』紙は街中にチョーリーを侮辱する言葉と、それに賛同する落書きがあると報道した。
「何でこんな事に! 私が何をした!」
リーズは貧富の差が激しい街で、富める者が貧しい者にお目溢しをするのは暗黙の了解。彼はそれをしなかった。
ドリッピングの代償は高くついた。チョーリーの家の壁にも落書きがされ、外出してもしなくてもドリッピング野郎と大声の合唱に彼は追われる。今や彼は街一番の嫌われ者だった。 そしてスタッフォードが釈放される日、15000の群衆が午前9時から刑務所の前で待機する。群衆の盛り上がりは最高潮に達した。
しかしスタッフォードは彼女の身を案じる娘からの連絡で密かに午前7時に裏口から釈放されており、リーズを後に彼女の故郷のスカボローに向かっている最中だった。 肩透かしを食らった群衆は振り上げた拳のおろしどころに困る。大半は警察からの指示に従って解散したものの、1000人ほどの集団は納得しなかった。
「ドリッピング野郎の家に行くぞ!」
ヒロインを迎えて大騒ぎする予定だった群衆は別の方向にシフトした。
チョーリーの家の周りは既に700人ほどの群衆に囲まれて雪玉をひたすら投げられていた。そこに本体が合流すると、もうタダでは済まない。投石が始まる。家の中でチョーリーはガタガタ震えた。
「殺される! ドリッピングのせいで殺される!」
流石に看過できないと警官隊が防ぎにかかる。
「お前ら、あのドリッピング野郎の味方か!」
完全に暴徒と化した群衆は警察にも投石を始め、衝突した。やがて昼休みの時間になると物見高い労働者がわらわらと集まり、警察は恐怖する。
「抑えられません! 軍隊の投入を!」
リーズ市長は最早警察ではどうにもならないと、近くに駐屯していた第8騎兵隊と警察に救援を要請し、何とか暴動は収まった(軍隊はなんとか投入せずに終わった)。死者1人、負傷者多数の大騒動だった。
暴動が終わると、群衆は自分達のやっていた事があまりにアホらしい事に気づき、この事を忘れたがった。渦中のチョーリーも2度とドリッピングに関して口にしたいとは思わなかった。暴動の参加者で逮捕されたのは1人で、僅か一週間で釈放される。 他、4人が合計10ポンドの罰金を受ける事になるものの、当局はこれ以上延焼させたくないとばかりに寛大に幕を引く。
法は法として、民衆には独自のバランス感覚がある。
それが蔑ろにされたと感じた時、民衆による私的制裁のスイッチが入るし、一度入れば民衆にもそれは止められない。行くところまで行って暴力を振るって発散するまで止まる事はないし、終わった後も懲罰的な事をやれば再度燃え盛る。 法は民衆のバランス感覚の後追いをしているのね。
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