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戦間期イギリス海軍の迷走

 史上初めて空母を保有した国であるにも関わらず、戦間期のイギリス海軍の艦載機はとてもパッとしない。戦争に間に合ったのは複葉機か、それに毛が生えた程度の単葉機で、艦隊の防空に活躍したのは陸上機であるグラディエーター(複葉機)やハリケーンを臨時に海軍向けに改造したもの。即ち戦前に構想された艦隊防空思想は完全に的外れだった事を示す。ドイツ、イタリアに空母がなく、海上にはさしたる強力なライバルが居なかったので何とかなったものの、強力な艦載機と空母を数多抱える日本海軍辺りが相手だととんでもない事態に陥りかねない状況だった。

 何でこんな事になったのか。これには幾つかの事情がある。イギリス王立空軍(Royal Air Force 通称RAF)は世界最古の独立空軍だけに、空軍とは何なのかと言う自己定義から始めないとならねばならなかった。実績豊富な陸海軍に比して歴史が浅い空軍は戦間期になると消滅の危機に瀕する。RAFは自らの生き残りのために努力せねばならなかった。

「空からの支配は陸海軍よりも効率的です!」

 たとえばイギリス植民地帝国の治安維持のためにその能力はアピールされた。航空機を持たない武装勢力相手に投じられた部隊は迅速に、そして損害少なく打撃を与えられるだろうと力説される。1920年、英領ソマリランドの反乱軍にRAFは無差別爆撃を敢行。1921年にはイラク全土のイギリス軍のための治安パトロールを請け合う。

「シュナイダー・トロフィーレースをRAFは後援します!」

 世界最速を競うエアレースに最も熱心だったのはイギリスだった。背景には、存在感をアピールしないと解散を命じられかねないRAFの焦りがある。当然、飛行機と名の付くものは全部管理下に置きたがり、空気はどこでも繋がっていると言う理由で空母艦載機隊まで支配下に置く。有事には無線封鎖して孤立する空母艦隊に空軍の飛行隊が乗ってても空軍が指揮できる訳ないので非効率極まりなく、結局、艦隊航空隊(Fleet Air arms)として彼らは独立した。当然空軍としては面白くない。

「陸海軍は後回し。空軍戦略を航空兵廠は優先すべき」

 軍事航空機を取り仕切るRAFは独自戦略である本土防空と、敵国への戦略爆撃に全力を挙げる。同じRAFの中ですら、地味な沿岸軍団は軽視されて俺たちはシンデレラなんて自嘲される中、商売敵の陸海軍に持って行く飛行機やエンジンなど、更に後回しだった。しかしイギリス海軍はそれを余り気にしない。

「航空機の速度進化は著しい。敵機の来襲を確認してから戦闘機を離陸させても最早手遅れ。航空機を航空機で撃退する時代は終わった」

 レーダーのない時代、敵機は目視して初めて感知できる。また、滑走距離の短い空母甲板から飛行機を発進させるには、向かい風に向かって空母をひたすら直進させて揚力を確保させねばならぬ時代。

「敵機が迫る中、そんな単純運動を取ってたら却って撃沈される。防空は対空砲でやるべきだ。戦闘機は寧ろ対空戦闘の邪魔」

 イギリス海軍の迷走が始まる。

劣化版デファイアント、ロック。デファイアントより悪いエンジンと悪い離着陸環境だったため、空軍のデファイアントより150キロも遅く、コンセプトは似通っていたので文句なしでイギリス最悪の戦闘機の一つに数えられている。

 イギリス海軍は増大する航空機の脅威にハリネズミのように対空砲を艦載する事で対抗した。ダイドー級巡洋艦はその嚆矢で、1939年時点での大抵のイギリスの都市よりも高い防空火力を一隻一隻が有するとすら謳われる。防空に多額の投資をしたイギリス海軍は航空機の援護なしでも敵機の攻撃を全て退けられると言う確信を得る。ただしこれはRAFのせいでろくでもない航空機しか手元にないが故の錯覚でもあった。彼らが保有する航空機は確かに、彼らの防空網を突破出来なかった。

「攻撃は封殺した! しかし対空砲の範囲外の敵には無力だ!」

 敵航空隊は無力化したと信じるイギリス海軍が恐れたのは艦隊を追跡し、その動向を伝える偵察機だった。対空砲の範囲外から悠々と艦隊を追跡し、敵主力にその動向を伝える機体。イギリス海軍はそうした航空機を爆撃機よりも恐れる。

「爆撃機は対空砲でやっつけられるが、その射程圏外からこちらを追尾する機体には対空砲は無力だ。そうした連中を追い払い、撃墜する必要がある」

 こうして謂わば、艦隊の空飛ぶ銃座としての戦闘機と言う発想が生まれる。マジな攻撃は艦隊の対空砲で問題なく撃ち落とせる。怖いのは対空砲の射程の外から延々と追い回してくる機体。空軍が一線級のエンジンを渡さない中、主敵は低速の観測機なのでイギリス海軍の防空思想は歪んだ。

 戦間期、イギリス海軍は自国艦隊の艦隊自身による防空に自信があり、怖いのは寧ろ不意をついてやって来る敵艦隊だと考えていた。勿論自分にもそれを適応するので、戦闘が開始されたら無線は封止。発進する艦載機とも音声ではやり取りしない。敵軍による傍受が怖い。それを避けるためにやり取りは単純なモールス信号で、故にイギリス海軍は信号手と操縦手を分けた複座戦闘機を好む。複座なら偵察機としてもより効率的だろうと考えられたのもある。

 イギリス海軍の単独防空への自信は大戦勃発と共に打ち砕かれた。最強の筈の戦艦の弾幕ですら耐えられず、艦隊の射程の外から触接する低速な敵偵察機を撃退するための戦闘機兼偵察機達は、大真面目に作られた戦闘機相手にたちまち能力不足を露呈する。戦間期のイギリス海軍の艦隊防空思想に基づく航空機政策は失敗した。演習はしていたけど、彼らは彼らが最善と見做す戦略に従って演習をしており、それは彼らが最善と見做す戦略への確信を深めるばかりで、反省や改善を促す事は遂になかった。

 主観的には整然として理路の通った。後から目線で見れば迷走したイギリス海軍の航空事情は、余り知られてない事実である。戦に勝った側とは思えない程守旧的に見えるかな。


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