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「羊飼いの暮らし」~牧歌的イメージに切り込む汗と血の涙のお話~

 羊飼いの生活を余すことなく綴ったノンフィクションである。著者自身が羊飼いなのだが、日々の労働、イギリスでの社会的認識、ビアトリクス・ポターのエピソードなど幅広く触れられている。その「暮らし」について無駄な比喩のない冷静な描写は、かえって鼻先まで牧草の匂いが立ち込めそうな感覚に陥る。印象に残った点を下記3つにまとめた。

■「羊飼いの暮らし」イギリス湖水地方の四季
(ジェイムズ・リーバンクス 著 濱野大道 訳)

◆人々が湖水地方へ抱くイメージの違い

牧歌的な甘いイメージに反して、羊飼いの労働は四季を通して忙しい。
作中では毛刈り、羊の出産、干し草作り、羊の角の矯正に至るまで、事柄は生々しくありながらも淡々と描いている。都心で働くイギリス人は余暇を利用して湖水地方へ訪れるが、羊飼いは自分たちの居場所をレジャーとして認識していない。熱い観光客との温度差がリアルで、これは特に農業従事者の方で共感される部分が多いのではないかと感じた。

◆歴史から抹消される土着の住人

私は旅行が好きだが、本書を読んでいて、自分の旅行の際にもバイアスがかかっていたとしたら・・・と思うと非常に内省を迫られた箇所である。著者が子供時代のお話だ。授業で湖水地方の歴史について触れられると思っていたが、教師が語ることはなく、代わりにアメリカ先住民の話をされたとのことだった。また、余暇で訪れた親戚とフェル(※作中で繰り返し述べられているが高原地帯とみられる)に登った際に、手にしたガイドブックは絶景ポイントや歴史、山頂について記載されているのだが、羊飼いの仕事については何一つ描かれていない。一年の中で、季節限定でしか観光客は訪れないのに、土着の住民より愛が深いといえるのだろうか。

著者が600年以上続く羊飼いの家系の子であることを考えると、胸が痛くなるほど強烈な屈辱である。羊飼いの生き方や尊厳を踏みにじられていると感じた。貧乏な白人、蔑まれた職業という当時のイギリスの社会的認識が色濃く描かれたシーンである。かなり根深く、どうにも抗えない無力感が悔しかった。

◆積み重ねが100年後の湖水地方をつくる

三世代に渡って描かれている羊飼いのお仕事。想像以上にパワフルであり、その歴史を描いて世に送り出した著者には、大変に勇気が要ったことと思う。時代の変遷はあるとはいえ、差別的な認識があったことは間違いなく、本書を通して羊飼いへの認識がかつてより大きく変わるだろう。湖水地方の存続に不可欠な歴史の主人公を、より大きく取り上げてほしいと願う。



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