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「なぜ人を殺してはいけないのか」に対する回答


諸種の回答

なぜ人を殺してはいけないのか?

「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いとその回答は多くの仕方で語られる. 一般性への渇愛を捨て, 諸種の質疑応答の具体例を見てみよう.

歴史学者に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞けば, 殺人が禁じられるに至った歴史的経緯, たとえば法制史について教えてくれるだろう. この言語実践における「なぜ」という言葉の用法は「史料から立証可能な いきさつ は何か」という科学的問題提起を意味している.

社会学者に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞けば, たとえば殺人禁止の社会的機能について教えてくれるだろう. この言語実践における「なぜ」という言葉の用法は「ある社会規範はどのような機能を担っているのか」という科学的問題提起を意味している.

経済学者に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞けば, 殺人がもたらす損失について教えてくれるだろう. この言語実践における「なぜ」という言葉の用法は「ある行為に対する禁止の根拠となる経済的損失と推奨の根拠となる経済的利益は何か?」という科学的問題提起を意味している.

進化心理学者に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞けば, ヒトが殺人を嫌う進化戦略上の意義を教えてくれるだろう. この言語実践における「なぜ」という言葉の用法は「ある動物の行動はなぜ自然選択に適しているのか」という科学的問題提起を意味している.

共産主義者に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞けば, 唯物史観の観点から教えてくれるだろう. この言語実践における「なぜ」という言葉の用法は「鉄をも貫く必然的歴史法則の観点から事象を説明せよ」という科学的問題提起を意味している.

精神分析家に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞けば, 殺人を禁じる超自我の精神的力動について教えてくれるだろう. この言語実践における「なぜ」という言葉の用法は「人間の行為の原因となる心的機制と患者の抑圧は何か」という科学的問題提起を意味している.

精神病理学者に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞けば, 殺人が心の健康に及ぼす悪影響について教えてくれるだろう. この言語実践における「なぜ」という言葉の用法は「ある行為が精神衛生に及ぼす益または害は何か」という科学的問題提起を意味している.

精神科医に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞けば, 治療をしてもらえるかもしれない. この言語実践における「なぜ」という言葉の用法は「患者の言動から診断される病名と, その効果的な治療法は何か」という科学的問題提起を意味している.

法学者に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞けば, 当該法域の刑法のどの条文に殺人について書いてあるか教えてくれるだろう. この言語実践における「なぜ」という言葉の用法は「ある行為を禁じるための実定法における規定根拠は何か」という科学的問題提起を意味している.

規範倫理学者に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞けば, 自らの奉ずる倫理理論のどこから殺人禁止が導き出せるか教えてくれるだろう. この言語実践における「なぜ」という言葉の用法は「ある行為を禁じるための自然法における規定根拠は何か」という科学的問題提起を意味している.

神学者/宗学者に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞けば, 自らの奉ずる啓典/経典と神学/宗学理論のどこから殺人禁止が導き出せるか教えてくれるだろう. この言語実践における「なぜ」という言葉の用法は「ある行為を禁じるための宗教法における規定根拠は何か」という科学的問題提起を意味している.

道ゆく人に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞けば, 「知るかよ, 黙れや!」と怒鳴られるかもしれない. この言語実践における「なぜ」という言葉の用法は「相手の通行を邪魔する」という迷惑行為を意味している.

もしこの問いが, 大庭健の言うように, 全称命題ではなく「いじめられているボクはなぜいじめっ子を殺してはいけないの?」という特称命題だとしたら, 臨床心理士の人はちゃんとした実用的助言を教えてくれるかもしれない. この言語実践における「なぜ」という言葉の用法は少年による不満と苦痛の提訴とその対処法の要求を意味している.

私に向かって「なぜあなたを殺してはいけないのか」と聞いてくる人がいたら, そいつをぶん殴ってやりたい; ちょうど芥川龍之介『羅生門』の最後のように「きっと、そうか。」と言って. 「最近の連中は平和ボケしている. 人権とはお花畑の思想ではなく, 私の命を認めなければ●すぞ, という不断の努力によって勝ち得た遺産なのだよ」という私の奉ずる社会契約説から導いた説教もかましてやりたい.

Image by Frank Winkler from Pixabay

「なぜ」とは何か?

以上の諸種の回答は, なぜ人を殺してはいけないのか, と問う「ひとを満足させないだろう。—彼は哲学を教えられている気がしないだろう (鉤括弧内は野矢訳『論考』6.53の引用. 傍点は太字で代用)」.

けれども, ならば逆に問いたいが, 君は「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いにおいて「なぜ」をどのような仕方で使っているのか? 「なぜ人を殺してはいけないのか」と問うことは「なぜ目の前に何か現象があるのか」と問うことに似ている. 一体全体, ここにおいて「なぜ」とは何なのか? 回答可能性があるのか? 

規範倫理学とは何か? それは上述したとおり, 自らの奉ずる派閥の教義に則って法的三段論法を自然法に適用することである. だから, 君が規範倫理学者に「なぜ人を殺してはいけないのか」と問うたら, 倫理理論から導かれた回答以外は出てこない. それ以外の「理由」はここにはない. ただこれだけで満足すべきなのだ.

これはイデオロギーであろうか? つまらない教科書的回答であろうか? 誤診であろうか? しかし, 私は, 哲学の本分の1つは「私は何を知りうるか?」に対する回答だと思う. 日常的言語実践を観察し, ここで何が問われているのか, いかにしてある回答が正当化されるのかをよく観ること. これは知りうることである. 

「私の生きるこの世界全体を知り尽くしたい!」と悶える魂の欲望は, 少なくとも私個人においては, 本稿を書いて一応治まりました. もし読者の魂が治まらなかったならば, 自ら哲学研究を深めてください. ではまた.

参考文献

  • Wittgenstein, Ludwig『青色本』大森荘蔵訳, 筑摩書房, 2010年.

  • Wittgenstein, Ludwig『論理哲学論考』野矢茂樹訳, 岩波文庫, 2003年.

  • 大庭健, 安彦一恵, 永井均編『なぜ悪いことをしてはいけないのか: why be moral?』ナカニシヤ出版, 2000年.

  • 赤林朗, 児玉聡編『入門・倫理学』勁草書房, 2018年.

  • 芥川龍之介『羅生門』青空文庫.

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