高学歴低収入の憂鬱

銃撃事件の犯人は偏差値68の高校を出た秀才であり、宅建やFP2級、測量士補の資格を持ちながらも人生逆転が叶わず、犯行に及んだという話があるが、勉学に対する努力は出来ても工夫が出来ないタイプの人なのだろうという印象を抱いた。
妙な既視感を憶えたのだが、なんのことはない。
こういう人物をよく知っている。

その人が「高校は偏差値60以上の学校であり、私は本当は賢いのだ」という内容の話をしていた事があったのだが、彼も高校の偏差値は60~62で大学は52~54。(現在はFラン大学とされている)
卒業後何度か転職をし、介護福祉の会社に就職したのだったが、つまるところ学力偏差値60~62の世界から就職偏差値40の世界の住人となっていたのだった。

当人はどうも今の職場に相応しくない優秀な人材だと自負しているようなのだが、人生に対する視点や物差しがすっかり下層化しており、高校時代とはステージが変わっている己自身に気付いていない様子だった。

人は往々にして自らを世の中の標準(か少し上)であると思い込むようで、介護福祉の会社を嫌って出た先輩が後悔しているにも関わらず、自分を会社から退職させるように仕向けている(=残っている事を妬んでいると思っている)という話を聞いたことがあったのだが、それが事実だとしても単に先輩が転職に失敗してよりブラックな企業に就職してしまっただけの話であり、自分がそれなりの会社にいるのだという証左にはならない。
むしろ、就職偏差値40の会社に勤めていた人物だったからこそ、転職でのステップアップが叶わなかったのではないだろうか…。

…などと思ったのだが、あまりはっきり言うと真っ赤になるか真っ青になるかするので黙っていた。

必ずしも学力の高さ=賢さではなく、まあ10000人に1人ぐらいの突出した学力の持ち主であればおそらくそれだけで世の中渡っていけると思うのだが、仮に上位1%の学力があったとしても正直それだけで人生どうにかなるとは限らない。
同年生まれの人間が100万人いた場合、上位1%の人材は同年だけでも1万人も存在する訳で、そこでパイの奪い合いになるのだ。

今回たまたま事件になって表面化しただけであり、おそらくこういう人は決して少なくないのだろう。

※もちろん介護福祉の仕事を卑しいと思っているわけではないが、実際には有効求人倍率も非常に高く、1人の求職者に対して4件の求人があるような世界であり、他で仕事を得られなかった人が流れてくるので、結果として訳ありだったり高齢であったり、境界だったりの人が集まりやすくなっている現実がある。
そしてその世界に長く触れる事で、それが「普通」の基準になってしまい、自分自身を客観視する事が難しくなり「普通より上」と看做してしまうようになる。

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