ささやかな呪い

今日は朝からついてない。
首を寝違えて、履いた靴の中に小石が入っていて、お昼に入ったお店のA定食が売り切れていた。
その上、予定外の仕事が回ってきたために、残業をして夜8時頃会社を出た。
本当なら6時には会社を出て、7時からの映画を見に行くはずだったのに。

よくあることとはいえ、すっきりしない気持ちで駅に向かって歩いていた。

駅前商店街のはずれの暗がりで、『あなたの気持ちすっきりさせます』という文字と占い師風の女の姿が目に入った。
小さなテーブルの奥に女が座っていて、白いテーブルの上には数枚の紙と小さなランプが置かれていた。
どこにも料金らしきものがみあたらない。
まれに見習い占い師が無料で出店していることがあるので、その類いかなと想像した。

私はなんとなくテーブルの前の傾いた椅子に座った。

「ここは占いですか?」
「いいえ違います。占いではありません。」

私はテーブルに置かれている紙に目を落とした。
そこには短い文章が沢山書かれていた。

 ● 靴紐がほどけますように
 ● シシトウの辛いやつがあたりますように
 ● 手が乾燥して買い物袋が開きませんように
 ● 行ったお店が定休日でありますように
 ● コインパーキングで違う車の料金を払いますように
 ● コンビニの肉まんが準備中で買えませんように

一見すると願い事のようだが、何かがおかしい。

「これは何ですか?」
「これはささやかな呪いです。あなたが願ったささやかな呪いがあなたの知らない誰かに降りかかるのです。代金はあなたに起きたささやかな不幸のお話です。ここはささやかな不幸とささやかな呪いの交換場所です。
 ただし、怪我をしたり病気になったり死んだり、犯罪を起こしたり警察に捕まったり、大きなお金を失ったり、人生が大きく変わってしまうようなものとは交換できません。
 あくまでささやかなものであることが条件です。」
と、女は言った。

途端に私は女の話にときめき、紙に書かれているリストをじっくり読み始めた。

 ● 暑い日家に帰った時、エアコンのリモコンが見つかりませんように
 ● 家の中でなくなったケータイにかけてもサイレントモードでありますように
 ● 白いワンピースを着ていったデートのランチがトマトパスタでありますように

確かに、ささやかだ。
そして、私にも経験がある。

「あなたが話してくださるささやかな不幸の数だけ、この中から選んでください。」

一瞬で数個のささやかな不幸が思い浮かんだ。
今日のお昼にセロテープの端っこが見つからなくてイライラした気持ちを、私の知らない誰かが味わうことを想像すると、それだけで心がすっとした。

「では、
 ● 首を寝違えますように
 ● 靴に小石が入ってますように
 ● 天気予報がはずれて傘を持ってるのに快晴でありますように
 この3つを交換できますか?」
と私は尋ねた。
女は、
「靴に小石はもうありますね。他のささやかな不幸はありますか?」
と、紙をめくることもなく、即座に答えた。

「うーん。コンビニで200円越えのおにぎりしか残ってないことはどうですか?」
「いいでしょう。寝違えと、傘と、おにぎりの3つでよろしいですか?」
「はい。」
「では、この紙の中から3つを選んでください。」

私はリストアップされたささやかな呪いをひとつひとつじっくりと読んでいった。
どれもこれも魅力的だ。

心の中で決めたものを数度変更した後、決定した。

「決めました。
 ● シュークリームのカスタードクリームがこぼれますように
 ● 旅先で買ったお土産が近所で売っていますように
 ● 水仕事中にゴム手袋の中に水が入りますように
 この3つでお願いします。」
「分かりました。」
女は私の選んだ3つに赤いペンでチェックマークをつけ、そしてリストの最後に私の3つのささやかな不幸を付け加えた。

「ありがとうございます。これで終わりです。スッキリしましたか?」
「はい、そんな気がします。」
「気を付けてお帰り下さい。」
「ありがとうございました。」
と答えて、私は椅子から立ち上がった。

軽い足取りで駅に向かい、電車に乗った。

気分がいいまま近所のスーパーマーケットに寄った。
お気に入りのビールは売切れだったが、おつまみのお刺身は3割引きで買うことができた。
レジで前のお客さんの清算が手間取ったが、買い物袋は一発で開いた。

気分がいいまま家に帰り、気分がいいまま布団に入った。

翌朝目が覚めても、まだ気分がよかった。
近頃すっかり春めいてきて、今日は天気もよさそうだ。
そうだ、こんなに天気がいいのに、どこかの誰かさんは傘を持って出かけているはずだ。
気分がいいな。

今日は休日だ。
昨日見られなかった映画に行こうかな。

などど考えながらコンタクトレンズを入れると、左右を間違えて視界がちぐはぐになった。

コンタクトを入れなおし、気も取りなおし、春っぽい服に着替えた。

靴下を履いた時、

・・・あっ。

・・・カメムシ・・・。

・・・もしかして。

これって誰かの・・・。

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