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初めての親友

初めて「親友」と呼べる友人ができたのは、小学校4年生の時だった。

4年生になると部活動に所属することができるようになる。
学校生活の中で、初めて自分のやりたいことを選択することができるのだ。
上級生がおそろいのユニフォームを着て放課後に練習をする姿や、校外の大会に出場した試合の結果を全校集会で報告する姿や、運動会の部活動行進で見る姿は、小学生低学年の私にとっては、とても大人でカッコよく見えた。

スポーツ要素が全くない私は、早速「器楽合奏部」に入部した。
音楽関係だと「合唱部」もあったのだが、ピアノを習っていたこと、ピアノ以外の楽器をしてみたいこと、そして何よりも、運動会の部活動行進の先頭を務めるマーチングバンドに憧れたことから、器楽合奏部への入部を決めた。

校舎の奥にある音楽室。
音楽の授業で入るのは教室まで。
器楽合奏部に入部すると、その隣の音楽準備室に入ることができるようになる。
埃っぽい独特香りを、30年以上経った今でも、ふと思い出すことがある。
灰色のそっけないスチールの棚にずらりと並べられたアコーディオンや小太鼓大太鼓。
台形の形をうまく利用して隙間なく奥に並んでいるマリンバやビブラフォン。
その部屋は、私にとっては魔法の部屋だった。

そこで会ったのが、RちゃんとN子。
この部活で初めて顔を合わせた。

記憶をたどっても、それ以前に仲の良かった友達は、名前も顔も思い出さない。
その時は仲良しだったんだろうけど、現在までつながる関係ではなかったから、どこかの時点で忘れてしまったんだろうな。

器楽合奏部に入ると、まずやってみたいのが鼓笛隊のスネア。
マーチングの花形で、全体を引っ張る凛とした姿がとてもかっこいい。
華やかさでは一番なのが、ベルリラと呼ばれる鉄琴。
グロッケンを縦にして棒を付けたような形をしていて、その上部の両端には赤やオレンジの房がぶら下がっている。
きれいな響く音と、その房がゆらぐ姿は、マーチングバンドのフォトジェニック担当。

そして、バンドの先頭を歩くのは、ドラムメジャー。
下部が丸く膨らんだ魔法使いの杖のようなバトンを持ち、口にはホイッスル。
ドラムメジャーはマーチングバンドの指揮者であり統率者。
バンドメンバーよりも一層衣装が華やかで、帽子に羽など飾りも多くついている。
曲の始まりや終わりの時などの指示をバトンを回しホイッスルを吹き、合図を出す。
まぁ、小学校程度のマーチングバンドだと、ただ先頭を歩いて、バトンを上下させているだけということもある。
だけど、見た目のカッコよさでは、他のどの楽器よりも勝っていた。

私たちは放課後になると音楽室に集まり、ドラムスティックの持ち方から始まり、いろいろな曲や楽器を練習した。

それまでピアノは習っていたが、ピアノは1人で弾くもの。
友達と一緒に演奏できる楽しみを、この部活で初めて体験した。
私にとって、それは脳内に快楽物質が放出される麻薬的なもので、この原体験が忘れられずに、今もずっと音楽を続けているのだろう。

とにかく一緒に音を出す友達ができたことも楽しかったし、そういう時間を一緒に過ごして仲良くなった友達に、それまでの友達に感じていた親しみ以上の感情を持った。
最初はそれが何なのか自分でもよく分からなかったが、ある時「親友」という言葉を耳にして、「彼女たちは私の親友なんだろうな」と、単語と意味が自分の中でカチッと音を立ててはまった。

部活以外に休みの日も一緒に遊んでいたし、Rちゃんのおばあちゃんちに夏休みに泊まりに行ったし、自転車に乗って遠くまで行ったし、Rちゃんちの犬の散歩に一緒に行くのも楽しかった。

全く料理に興味のなかった私にとって、台所に立って料理ができたりお菓子を作れるRちゃんやN子は頼もしかった。
Rちゃんの家で料理をしてもらって、私はただ眺めて食べるのみということもあった。

小学生の私たちには大した秘密もなかっただろうが、それをコソコソと共有してはこそばゆい気持ちにもなっていた。

当時大人気だったC-C-BのファンだったRちゃんのために、自分が買った明星のC-C-Bの記事を切り抜いてはあげていた。
自分と家族以外の誰かが大切にしているものを、自分も大切に思うという体験を、C-C-Bで得たのかもしれない。(言い過ぎ)

5年生になる時、器楽合奏部が合唱部に吸収合併された。
人数が少なくて弱小だった器楽合奏部。
その顧問の先生が他の学校に変わり、新しい先生が来たのがきっかけだった。

楽器を演奏してるんだ、歌がやりたいんじゃないんだ、という謎のプライドがあった私たちは、新しく来たK先生に「合奏もする」という約束を取り付けたうえで合唱部に入部した。

入部してみると合唱も楽しくて、なんといっても新しく赴任してきたK先生がパワフルで、私たちにそれまでになかった体験をたくさんさせてくれた。

校内でしか演奏の機会がなかった私たちを、NHKの合唱コンクールをはじめ、いろんなところに連れ出してくれた。

当時、団塊ジュニア世代のマンモス校。
1学年だけで300人を軽く超える生徒数。

6年生の時、その全員でアフリカンシンフォニーを合奏したのは、壮観だった。
K先生が編曲して、辛抱強く何度も何度も練習したことを、おぼろげに覚えている。

父の仕事の関係で家にあったコンガやボンゴなどのパーカッション類、その数年前のクリスマスプレゼントにもらったグロッケンなど、家にあった楽器も持っていった。
私はピアノを弾いた。
体育館で演奏会をして、保護者が見に来た演奏会はとても盛り上がった。

そして、その全員で市の音楽祭にも出演した。
300人を超える生徒が全員で市民会館大ホールのステージに上った景色と音は壮観だったんだろうな。

その音楽祭で初めてフルートという楽器を見たことがきっかけでフルートを始めたという意味でも、K先生は恩師である。

結局卒業まで合唱部に所属していた。
(といっても、ほとんど伴奏していたので歌っていなかった気がする)

そして中学生になり、RちゃんとN子と一緒に吹奏楽部に入部した。
年に休みが数日しかないような運動部ばりの練習をこなし、夏の暑い日に音楽室に缶詰めになりながら吹奏楽コンクールに向けて練習をし、3年間を過ごした。

音楽自体も楽しかったが、友達と一緒にいることがなにより楽しかったのだと、今は思う。

中学卒業後、皆それぞれの道を歩み、一時は連絡が途絶えた時期もあったが、再会すれば心許せる友達にすぐに戻った。

先週末、そのRちゃんの結婚式に出席してきました。
35年近く前に会った、最初の親友の結婚式に出られることは、私にとっても、とても幸せなことです。

結婚相手は、小学校の時に内緒話で恥ずかしそうに話していた、彼女の初恋の彼です。

末長くお幸せに。
心から、おめでとう

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