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「鉄ちゃん」の母になる日が来ようとは/「鉄」と人生(1)

 note2周年を機に同じテーマで記事を書いたのですが、なかなか面白かったので、これから時々、企画していきます。今回は、「鉄道」について。

Noriko篇

先日の新聞記事。
太宰治の亡くなった日「桜桃忌」に合わせて掲載された記事で、太宰が愛した三鷹の跨線橋が撤去されるという内容だ。
跨線橋(こせんきょう)とは、線路をまたいで道路と道路をつなぐ、陸橋のこと。跨線橋は、鉄道が良く見えるので鉄道好きにはたまらないスポットだ。そして三鷹のここは特に、子連れに大人気だ。なぜなら、陸橋なので人しか上れないし、両サイドの手すりがうんと高く、さらに目の細かい金網も張られているため、子どもが線路に落ちたり、線路に何か落とすことは絶対にあり得ないつくりになっているからだ。ここなら多少は子どもから目を離しても問題ない。また、橋の上から手を振ると、下を通る列車の運転手が振り返してくれたり、運が良ければ警笛まで鳴らしてくれる。なかでも特急「あずさ」や「かいじ」の警笛は独特なので、子どもたちは大喜びだ。

三鷹の跨線橋は、我が家から徒歩圏内で、息子が「でんしゃ好き」だったため、数えきれないほど通った。2020年のコロナによる自粛期間は、暇を持て余した息子と娘を連れて、ここでしばらく過ごすのが日課だった。密にならない外だし、いくら騒いでも誰も何も言わないしで、親子連れが大勢訪れていた。「この状態がいつまで続くんだろう?」という漠然とした不安もあったが、春のぽかぽか陽気のなか、楽しそうな子どもたちを眺めたり、意味もなくスマホで写真をとったりしてだらだら過ごしたのは、いまとなっては貴重な思い出だ。
そして、まさか私が鉄道を見て時間をつぶすとはな、とちょっぴり感激している。

跨線橋から鉄道を眺める子どもたち


そもそも私は、鉄道に一切興味がなかった。
若いころ、地方のテレビ局で記者をやっていた。
それぞれが「警察記者クラブ」「県政記者クラブ」といった記者クラブに所属していたが、私が入っていたクラブのひとつが「JR記者クラブ」。JRの事故やら遅延やら、ダイヤ改正やらの情報がこの記者クラブに入ってくる。そして新車両が登場したり、記念列車が走る際も、JR記者クラブが担当だ。
入社してすぐ、JRの線路を、記念列車として蒸気機関車が走るイベントがあった。この蒸気機関車に乗車して、体験リポートして来い、と上司から指示された。
当日は停車している蒸気機関車の前で「蒸気機関車がたくさんの鉄道ファンに囲まれています。いまから乗車します」のようなコメントをカメラマンに撮影してもらって機関車に乗り込んだ。
記念列車なので、乗車できるのは抽選でチケットがとれた人だけ。みな一様に興奮している。蒸気機関車は、通路が板張りで、どこもかしこもがっしりとした作りで、年季が入っている。
いよいよ出発だ。あの独特の汽笛を鳴らして、灰色の煙をもくもくと吐いて走り出す。車窓からは、こちらに手を振る人たちがたくさん見える。
けれど…鉄道に興味ゼロだった私が車内で撮ったコメントは「乗り心地は普通の電車と変わりません!」。
会社に戻ってデスクに怒られたのなんのって…。「なんのためにわざわざ乗ったんだ!よく考えてみろ!なんだあのコメントは!」最後はあまりにもあきれたデスク自身が泣きそうになっていた。
はい、いまならわかります。私は酷かった。
いまならきっと、車窓から入ってくる煙のにおい、車輪の独特の音、重厚感のある走り、車両のきしみ感など、私自身、感激したことだろう。
でも改めて言うが、鉄道に興味のない人間にとって、ほんとうに、そういうものだったのだ。

その後も、鉄道好きなら垂涎ものであろう取材がいくつもあった。
新幹線の新型車両に試乗し、当時の最高スピードを体験。
新しい寝台列車に試乗し、体験レポート。等々。
もちろん、私だって少しは懲りてそれっぽい感想はきちんと述べたが、そこに感動はなかった。
JR記者クラブ員のなかには、鉄道好きなので無理やりこのクラブに入れてもらいました、という人もいて、それはそれは喜んで試乗していた。そして、JR社員にマニアックな質問をして、喜ばれていた。
結局、非常にありがたい経験を何度もさせてもらったにも関わらず、鉄道に興味が持てないまま、JR記者クラブから異動になった。

しかしその数年後、私が結婚した相手は、大の鉄道好きだった。
将来の夢が「国鉄総裁」だったような……。
子どもの頃からなけなしのお小遣いで「鉄道ジャーナル」を買うような……。
首都圏の路線図を暗記し、最短移動手段を何もみないで言えるような……。
そして、息子もばっちりと「鉄ちゃん」に育った。
図鑑「鉄道」は、読みすぎてぼろぼろで修復不可能になったので、新たに買いなおした。


2代目の図鑑

誕生日やクリスマスのプレゼントはプラレール。
まだ言葉もろくに離せないころから、「とっきゅうあじゅしゃ(特急あずさ)」「おろりこ(踊り子)」などと絵本を指さして言ってくれるのがかわいくて、いつしか私も特急の名前を覚えてしまった。
そうなると興味がわいてくる。
新幹線ひとつとっても色んな形、色があるのだなと感心してしまう。
乗り心地はどうなのかと想像してみる。今度あそこに行くときはあれに乗ってみよう、と思う。

5歳ごろの息子の絵



出張で地方にでかけると、JRの駅でわくわくしてしまう。「あ、特急かもめの本物だ、なんてかわいい形なんだろう。シートもおしゃれ」とか、「うわーーーあれが・・」と感激して「帰ったら息子に自慢しよう」と写真を撮りまくる。


実際に見て感激した「かもめ」


本州と四国を結ぶ瀬戸大橋線に「アンパンマン列車」が走るときは、発売日に実家の父も駆り出して電話してチケットをとり、ゴールデンウィークに息子と2人、乗りに行った。
近所の鉄道車庫の特別公開に申し込み、総武線の車両に乗ったまま洗車してもらう、という体験もした。


夫は夫で、「よい鉄道仲間ができた」「いまならまだ安いし(子ども料金なので)」と、息子を鉄道旅行に連れまわした。
一番びっくりしたのが、寝台特急カシオペアが廃止になってしまう、いましか乗れない、と、息子と2人わざわざ新千歳空港まで飛行機で飛び、そこからカシオペアで上野まで戻ってくるという旅。平日の昼間に夫から電話があり「いまカシオペアのチケットのキャンセルが出てとれた!明日〇〇(息子)と北海道行く!」と告げられたときは、目が点になった。
このほか、北海道新幹線で北海道まで行って帰ってくるだけの旅や、東日本大震災から復旧した三陸鉄道に乗車する旅など、本当によく出かけていた。(ちょっとあきれた)

JR高崎駅で蒸気機関車を見学


父子二人、京都にも


息子は順調に、「鉄ちゃん」のまますくすくと成長した。
つい先日のゴールデンウィークは、私と息子2人、日暮里の跨線橋に初めて行ってみた。小さな子どもに混じって、小学校高学年の息子も1時間ほど見学していた。


日暮里の跨線橋
橋の上


そのあとは、鉄道が良く見えると有名なファミレスで食事し、上野から東京までたった一駅、上野東京ラインのグリーン車に乗車してみたり。


鉄道好きの息子につきあう度に、JR記者クラブ員だった自分が恥ずかしく、申し訳ない気分になる。そして、興味を持つ、というだけで、こんなにも見える景色が変わるのだ、変えられるのだと、驚いてしまう。
そう、実際に出かけなくても、世界はいくらでも広がっていく。
息子と鉄道を通じて、そんなことを知った。

text&photo Noriko ©elia


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