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#5. 「死」には実態がない

今日、「葬儀」という言葉をメモする場面があった。

最近は手書きする機会もそうないのに、「葬儀」なんて、人生でそう何度も書かないであろう言葉を書きながら、ああ、「葬」という漢字には「死」が含まれているんだな、と改めて気づいた。

それでなんだか気になって、漢字の成り立ちを調べてみることにした。

* * *

「死」は以下の形をかたどって描かれた文字の組み合わせだ。

(左)・・・白骨
(右)・・・ひざまずく人

つまり「死」が表すのは、死という事実そのものではなく、生きる者が亡くなった者を弔う姿なのだそう。

これについて解説しているブログがあったので、一部抜粋。

「死」それ自体は、形で示されることのないため(中略)実態として文字に表すことができません。それで、「死」の字は、死者の姿ではなく、代わって、生きている者の死者への対応のありかたを示す字となります。
ーー浄土真宗|LOG

「死は実態として表すことができない」という見方は、かなり衝撃的だ。

死んだら物理的に心臓が止まるわけだが、ひどい事故などでない限り、心臓が止まっているかどうかは目視できない。そこにあるのは、生きている時となんら変わりない綺麗な体だ。

そういえば5歳の時、大好きだった曽祖母が亡くなって「このままにしとったらいつでも会えるのに、なんで焼かんといかんの?」と泣きながら父親に尋ねた記憶がある。曽祖母の命は絶えて、もう話しかけても返事をしてくれないことはわかっていたけれど、その姿形が消えてしまうのが悲しくて、数十年後も覚えていられるか不安で、弔うことの意味がわからなかった。

きっと、死に実態がなかったから、理解しきれなかったのだ。

逆をいえば、私たちが死を理解できているなら、それは経験や知識、そこから生まれた価値観によるところが大きい。死が、文化や宗教と強く結びつき、人類が生まれて700万年経った今でもさまざまな解釈が生まれ続けるのは、きっとそういう理由なのだろう。

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最後になったが、「葬」は、上下の部首がどちらも並び生えた草を表すことから、死者を風葬し、そこに残った白骨を、生きた者が弔っている様子を示しているという。

この「匕」は、その場所で何を思い出し、どんな表情で、大切な人を弔っているのだろうーーまるで映像が浮かぶような、情緒的な漢字だなと思った。

Top Photo by Annie Spratt on Unsplash