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47 美術の授業だと少しだけ見える。不思議。なぜだろう。

山崎正明先生から教えていただいた実践。
「今、自分が生み出す色と形」

https://yumemasa.exblog.jp/15615573/

とある女の子は「先生、色を混ぜるのが楽しい」って言ってました。ある男の子は3色しかないからいろいろな色をつくれるから楽しい、とも言っていました。3原色を混ぜて色をつくる工程を、子どもたちは楽しそうにしていた。何より、見ている僕が幸せな気持ちになった。そういう実践ってほんとうにすごい。

美術はやはり「ためし」が重要で、プラ板にで試してみて、次どうするか考えることで、作業がなかなか進まない子の考えが促進されていくことが面白かった。

僕は山崎先生にこんな報告をしました。
Aさんは、色の混ぜ方だけを研究していました。3パターンぐらい考えて、これに行き着いていました。机の上に置くと汚く見えますが、光にかざすとキレイに見えて、どれぐらい混ぜると汚いにならずにキレイなままになるか探究していました。

すると、山崎先生から「おお、子どもの学び見てますね。いい感じです。」と返信がありました。僕は子どもの学びを見るのが苦手です。見ているようで全然見えていません。きっと一生僕にはできないと思っています。でも、今回は少しだけできていたことを山崎先生は教えてくれました。

数学の授業では、全然見えないんですよね。だけれど、美術の授業だと少しだけ見える。不思議だな。なぜだろうか。
やはり「対等に話している」ってことなのだろうか。なかなか作業が進まない彼を3回くらい机間巡視しながら「どうするのかな?」と見ていて、それで何かし始めたから見にいくと面白そうなこと(画材を適当に垂らしてそれを撫でて色を混ぜていた)をしていた。そして「それ、面白いね。もうこの「ためし」を作品にしてしまえばいいんじゃないのかな?」と言った。だから、今回は珍しくちゃんと覚えていた。

美術の授業を通して、自分には足りていない「子どもの学びを見る」のアンテナを鍛えているのかもしれませんね。数学授業では子どもの学びを見れないのは、なぜなのだろうか。やはり僕の方が立場が上だという気持ちと、問題がクリアできるかどうかにしか興味がないのかもしれませんね。