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176 良い職員室になれていないのは 「わき腹を見せる」ことができていないからなのかな?

今日、とよてつさんのFACEBOOKの投稿でPAの本のことを書いていて、久しぶりにその本の僕が好きなページを思い出していました。

僕の好きなページはp.196「わき腹を見せる」です。
もっとも弱い部分を相手に見せることで敵意がないことを意思表示する動物本来が持っている行為が「わき腹を見せる」ことです。わき腹を見せられるかどうかは、学校生活の中で重要だと僕は考えています。それは、子どもたち同士でもそうだし、子どもと先生でもそうだし、職員室でもそうだと僕は考えます。自分の弱いところを相手に見せることが少しだけでもいいからできると、前よりも大胆に気楽に素の自分のままでいられるようになる、と僕は感じています。自分はあなたにとって敵ではないことを示すことができるからでしょうか?
自分のメモによると2015年頃、そんなことを考えていたようです。
当時担任していた生徒に、僕のイメージを「しるらないカード」の中から選んでもらいました。

それがこの3つの画像です。「なんか孤独そう」「いろいろな表情があって子どもっぽい」「いつもこういう動作しているよね」などと生徒は私のことを語ってくれました。

生徒が強制的に僕の少し弱い部分(わき腹)を語ってくれたわけですが、ちょっと弱い部分を知られてしまったら、もうどうでもいいや感が以前よりも増すからかわからないけれど、以前よりも少しだけ吹っ切れるんですよね。w クラスにうまく馴染めない子の多くはは、自分を見せるのが苦手な人ではないでしょうか。そう、僕の目には映っています。だから、教室でもたまに「しるらないカード」を使って、2015年頃はよく自己開示する場面をつくっていました。

とよてつさんのおかげで、昔の自分が考えていたことを思い出すことができました。
担任を持つと、保護者や生徒、その他学校の外から攻撃対象に晒される。立場上、そういう仕事なのだから「せめて同僚くらい味方でいようよ!」と僕は思うのだけれど、どうして職員室という場所は、なぜそうなることが難しい場合があるのだろうか。「わき腹を見せる」ことができていないからなのかな?なんて昔考えていたことに引きつけて考えていた土曜日の夜でした。

山口一郎さんのyoutubeライブを見ながら