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164 インクルーシブ発想が〈ふつう〉になる日は来るのだろうか

とよてつさんがFACEBOOKに次のような書き込みをしていて「ほんとうにそうだよな」という気持ちで一日過ごしていた。

(引用開始)
結局大阪の支援教育は、通常学級の中に支援学級の子どもを入れるという点で、マジョリティ側に合わせることを強いる制度であったんだろうなと思う。だから支援学級で本来行うべきであろう、真にオルタナティブな取り組みは生まれなかった。結局、「周りの人たちの力を借りて、マジョリティ優位な環境に適応しよう」「マジョリティ優位な学力に適応しよう」みたいなことしかできなかった。学ぶことや環境への問い直しが生まれなかった。
(引用終了)

北海道も「通常学級の中に支援学級の子どもを入れる」システムが根付いている。保護者の立場からすると、見た目上は〈ふつう〉だし、学級の子どもたちと一緒に過ごすことができるから、保護者が余計な心配をせずに特別支援の世界に一歩踏み出すことができる。ただ、とよてつさんの言う通り「周りの人たちの力を借りて、マジョリティ優位な環境に適応しよう」「マジョリティ優位な学力に適応しよう」に加担してしまっているのかもしれない。

ある特別支援学級設置校でつくられている冊子があり、「普通学級でのインクルーシブ発想の授業について」の原稿を作成したのだけれど、他の学校の先生方の原稿は、特別支援教室での出来事を原稿にしているそうだ。それを知って、僕はなんだかとても悲しい気持ちでいる。きっと、インクルーシブ発想の授業づくりは、いつまでたっても〈特別ななもの〉扱いなんだな、と思ってしまって、悲しんでいるのかもしれない。自分でもよく分からないや。