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14 「ほどほど」くらいがちょうどよい

僕は落合陽一さんが好きで、とても注目しています。落合陽一さんとオードリー・タンさんとの対談がどうしても読みたくて、『ズームバック×オチアイ 過去を「巨視」して未来を考える』を買いに、遥々片道90kmの道のりを車で走りました。

対談の中で、生きた民主主義を「進化」させるカギは多様性にあり、どうやってそれを確保していけばよいのかについて言及している。これがとても有趣。

落合さんは「大事なのは「ほどほど」ではないか」と述べています。
「ほどほど」とはどういうことか、著書の中で次のように説明していました。

(引用開始)
多様な文化圏を持つ国では比較的この「ほどほど」に価値が置かれていて、お互いに理解し得ない文化の違いに関して「ここまでは理解しよう」というほどほどのラインを持っています。でも、いまの日本のように、あるひとつの文化圏が大多数を占めている場所では、「違う文化を完璧に理解しよう」「お互いに理解するまでやりきろう」ということに時間と労力を割いてしまう。8割でいいのに、残りの2割を達成するのに多くの時間を使ってしまうのです。そうなると社会のなかで、たとえば皆が同じ規律を求めるので、そこに収まらない子どもがいじめられる。ほどほどに勉強ができるのでよければ、違う教科書を持っている子が同じものにそろえる必要はないですし、同じ教科書を使わなくても、たいして変わらないかもしれません。
(引用終了)

年度末反省を控えた今、次年度の校内研修について職員室では話題になることが増えてきた。校内研修が「ほどほど」のコンセンサスで成り立つようになれば、もっと僕らは働き方や生き方が多様になり、いじめられなくなる。笑 8割でいいのに、残りの2割を達成しようとするから、つまらなくなっている。僕にはそう見えている。