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イマーシブシアターの祖『タマラ』のシナリオ

イマーシブシアターの祖とも言われる1981年初演の演劇『タマラ(Tamara)』の脚本を書籍にしたものが届いたので、さっそくスキャナーでOCRして、機械翻訳でつらつら読んでいます。

ちなみに、米AmazonではKindle版が出ているのですが、日本からは買えないようです。Kindle版があれば、いちいちOCRにかけるために、書籍を断裁しなくてもすんだのに(ブツブツ)

この書籍は『タマラ』初演40周年を記念して出版されたものですが、昔同じような書籍が出ていたらしいので、正確には再版でしょうか。アルベルト・マングエルという人の解説なども付いているので若干の違いはあるようです。

ページ数は350ページほど。以前見たことのある『タマラ』の紹介番組では電話帳のようなシナリオが紹介されていたので、一部の収録ではと危惧していたのですが、ざっと見る限り全シーン収録されているようです。
この書籍は『タマラ』がどのようなお芝居だったかの記録だけでなく、なかなか目にすることのないイマーシブシアター形式の脚本がどのように書かれているかという視点からも貴重な情報源ではないかと思います。

この書籍を読むまでは、『タマラ』はイマーシブシアター的な複雑さはあるものの、お話としてはシンプルなエンタメ指向かなと思っていたのですが、なかなか歯ごたえのある内容のようです。
『タマラ』の演劇的な価値については、イーピン企画・城島さんからもTwitterで指摘いただだきました。

舞台は1920年代のイタリア。著名な詩人・作家でファシスト運動の先駆者でもあるガブリエーレ・ダンヌンツィオが、自分の肖像を書かせるため、美貌の画家タマラ・ド・レンピッカを自分の屋敷に招くところから物語が始まります。(二人とも実在の人物です)
ダンヌンツィオはムッソリーニから疎んじられて屋敷に軟禁され社会との接点を失い、逆にタマラはダンヌンツィオを描いて社会でのし上がろうとする。
そして他の登場人物たちも含め、ファシズムが吹き荒れる社会の中での政治と個人、主人と召使、権力者と一般人、そして狂気といった問題に翻弄されます。斜め読みしかしていないですが、かなりずっしりとした内容でした。

『タマラ』がどんな演劇だったかについては劇作家の鴻上尚史さんも以前エッセイで思い出を書いているので、これを読むのが一番イメージしやすいかなと思います。

また、『ミステリーナイト』などを手がけているイーピン企画の城島さんも、つい先日Twitterで『タマラ』について熱い思いを語っています。

『タマラ』の脚本に話を戻すと、今回の書籍は1987年11月のニューヨーク公演の脚本が元になっているようです。
公演時間は第1幕が1時間3分、第2幕が1時間7分と書かれていますが、幕間も会場内でディナーに見立てた食事が行われるので、延べ時間は3時間近くになるのかなと思います。
ちなみにニューヨーク公演の時は有名なフランス料理店「ル・サーク」が食事を用意したらしく、これ目当てに参加する人もいたとか。
(そして、この原稿のために調べていたら、「ル・サーク」は閉店していました。時の流れ・・・😢)

書籍では同じ時間帯のシーン毎に同じアルファベットが振られ、通しのシーンナンバーとして数字が振られています。

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たとえば、B2~11と振られた10のシーンはほぼ同じ時間帯に同時並行で行われているシーンという訳です。
このシーン番号の振り方は書籍化にあたってオリジナルの脚本と変えている可能性もありますが、以前見たことのある『タマラ』の紹介番組で映し出されていた映像でも同じような番号だったので、おそらくそのまま踏襲しているのではないかと思います。

そして、シーン毎に誰が次にどこへ向かうかが指示されています。

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このゲームブックのようなパラグラフが『タマラ』という演劇を支えているという訳です。

『タマラ』はなかなか再演されないので(前回が2014年、前々回が2003年)特に日本にいると見る機会はなかなかなさそうですが、もしまた再演されることがあればぜひ参加してみたいなと思います(英語の壁を乗り越えてw)


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