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『君の名前で僕を呼んで』を見たよ。

 ほとんど一度も心の動きが分からなかった。こんな映画は初めて見たような気がする。

 これは一体どういうことなのだろうか。もしかしたら体調のせいかもしれない。感情移入が主食の人間なので、ちょっとびっくりしたのである。

 本と映画とパンのお店(本と映画とパンのお店!)シネコヤさんはいつも素敵な映画をやっている。そもそも私は素敵な映画を素敵な映画とぱっと見で判断出来るほど映画を見てはいないのだけれど、初見でわー素敵ねえ! となる映画を沢山やっている。

 ぜひみんなシネコヤさんに通って、私のためにシネコヤさんが末永く営業出来るようにして欲しい。私も通うよん。

 で、この『君の名前で僕を呼んで』はやっていた時に近所のポスターを見てなるほどね~と思っていたやつであった。まぁだいたいの映画がそうだけれど。なるほどね、興味があるね~と思って見なかった映画で城が作れるのではないかと思う。城? それは何で作るのだろう。DVDのパッケージとかで組み立てるのかな? ちょっと良く分からないな。
 ともかく、今回見られて良かった。

 さて、感想である。
 ちなみに今、私は「もっと気軽に映画や本の感想が書きたい!」と思っている。しかし、私はものを見たり読んだりした感想を抱くのが最速でも一ヶ月先、だいたいは一年くらい先なので、それがなかなか難しいのである。

 だから文章をごねごねしている。

 未来においてあるひ突然産まれる「あっ、あれ良かったな~」という感想を現在に引き寄せるために、あーでもないこーでもないと考えているわけである。

 しかし、それはなかなか骨の折れることであり、そういうことは元気なときにやろうと思うのだ。だからこれからは気軽にその時の思いを考察せずに書いておこうと思った。
 未来において「あれよかったなー」と思った時に、振り返って、なるほどねーとやるためである。

 映画とか、本とか、その他もろもろ、摂取したあとにちゃんと形に出来る人に私は憧れている。

 以前友人と映画を見に行って「どうでした?」と聞かれた時に、私は何も思いを抱くことが出来ず「見た!」と意味不明のことを答えて「面白くなかったんですね」と勘違いされたことがある。
 一年後に「あれ面白かっなぁ」と思った。

 びっくりしたけれど、まだ感想を書いてないのに、もう1000文字も費やしている。しかし気軽に書くというのは、心の持ちようの問題でここまで何も考えてないので気軽さはクリアーしている。

 とりとめのない文章書くのってめっちゃ楽しいよね!ホリデー!って感じ。祝祭。


 感想ね!

 どこかの北イタリア、じゃないや、北イタリアのどこかであったお話、みたいなことが冒頭に流れた。そこでの少年とお兄さんの恋の話? みたいな感じの映画だったと思う。

 冒頭にも書いたけれど、最初から最後まで、一瞬たりとも馴染みのある感覚がなく、それがものすごく新鮮で見ている間ずっと「えっ、へへー」みたいな感じであった。
 この「えっ、へへー」の内訳としては「えっ」がトリビアの泉の「へえ」の感じをかなり抑えめのしたようなもので「へへー」は、いわゆる一つの「てへぺろ」みたいなものである。

 言語化するとこうである。

 庭のテーブルで朝ご飯をする。へえ! 上半身裸で自転車にのる。へえ! 卵の上をぱんぱん叩くとどろっとした黄身が出てくるものを食べている。へえ! 大人でも「磯野、川行こうぜ!」みたいなことをする。へえ! おっけーと答えて川で泳ぐ。へえ! お手伝いさんなのか血縁者なのかよくわからない女の人がご飯を作ってくれる。へえ!

 だいだい半裸でいる。ダンスをする。割と蠅的なものが飛んでいる。自転車をドーン!ってそのまま乗り捨てる。道端で女の子に「今日ごはん食べに来なよ」って言う。「おっけー」って女の子が答える。もう一度、卵をスプーンのお尻でペンペンって叩いて、中からどろっとした黄身が出てくる食べ物を食べている。

 へえ! へえ! へえ!!!!

 と、そうした絶え間ない知らないを受け「えっ(へえ!)」と思ったあとに、私は本当に知らないことが沢山あるなぁと思って「へへー(てへぺろ)」となったのだ。

 けれど、これは心の動きが分からない、ということに関係あるのかしら。

 昨日これを見た後に、割と最近に見た『マイプライベートアイダホ』を思い出したのだ。あれは見たあとに「?????」となって、それと同時に「これは未来において、ものすごく良い映画だったと思いそうな映画だ!」とも思った。

 既にして話の筋は忘れたが、というかそもそも見ている時既に話の筋を見失っていたが、あの映画にはものすごく感情移入をした。
 アイダホがどこにあるのか知らないし、あの映画も知らない生活様式に埋め尽くされていたのはこの映画と同じだ。

 それでも心は分かるわけで(勿論、分かると思い込んでいるということである)その点『君の名前で僕を呼んで』はそういう瞬間がなかった。

 たぶん、この子はあの男が好きなのだろう。たぶん、何か宗教とか世間体とか、色々が難しくて表だって男同士でラブラブチュッチュッが出来ないのだろう。たぶんこの男も少年が好きなのだろう。たぶんこの男は夏(そもそもあれは夏なのか?)が終わったら帰るのだろう。

 そういう筋、というか論理というか、きっとそういうことなのだろう、というものは分かるのだ。でも一向に心が読めなかった。

 不思議だなぁ。

 びっくりするかも知れないけれど、この映画の今の感想はこの「不思議だなぁ」の一言である。
 やっぱり文化を知らなすぎることに原因があるのかなぁ。どうなのかしら。ガーデンパーティーみたいなことを本当にするだ! と思って感動した。

 私は最近頑張って本も読んでいるのだけれど、誰か偉い人が書いた文学史の本に「やはり東洋と西洋はあまりにも違う。それは溶け合うことがない」というようなことを書いていて、当時は「そうかしら?」なんて思ったけれど、今では「そうなんだなあ!」と思う。私は少し頭が良くなったのだ。

 しかし、その違う文化に触れることの心地良さったらない。

 この映画はものすごく音が特徴的だなぁと思って、蠅の飛ぶ音とか、車の音、水の音とか、風の音、果物を食べる音とか? あと全然なんの音か分からない生活の音(なんか家の中に、大きなごんごんした音が響いていたけれど、何の音がマジで全然分からなかった)暖炉の音。

 そういうのが、人間と同等の割合であるのがよかった。割合というのはその、主役とか準主役とか、そういう意味での割合である。音の出演時間かなり長いし大きい。

 そして女の子が心根まで美しかった。  

 男の子の恋の八つ当たり先というか、利用されていると分かってて利用されるみたいな女の子なのだけれど、その子が彼に貰った本について「あなたに感想を言いたかった」みたいなことを言ってくれて、あー!!ってなった。それがこの映画で一番心に残った。心が分かる場面だった。美しい。本当に美しかった。

 あれ? 長くない?

 私は今日の午前中は色々やることがあるからって思ってたんだけど、もう午前が終わりそうなので、ちょっとこの辺にしておくね。もっと気軽に文章書けるように頑張るね。

 ジャンユスターシュを見てみたいのだ。あと『花様年華』と『愛のコリーダ』と『恋人たちの食卓』とあとなんだっけ? 色々みたいのあるから色々みたいなーと思いました。まる。

 以上!

あるか分かりませんが、サポートがあったら私はお菓子を食べたいと思います!ラムネとブルボンが好きです! あと紅茶!